The Graphic Design Review

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「問い」を抱えながらデザインを“使う”

「問い」を抱えながらデザインを“使う”

「デザイン」はつねに何かと何かのあいだにある中間的な領域だ。それは、さまざまな術や学を動員しながら、あるコトの 創出に向かう。文化人類学をひとつの補助線として、グラフィックデザインという方法をさまざまな実践に応用展開するデザイナーの考え方とは。

フリーランスとして働くようになる数年前、僕は「デザインで文化人類学をやる」ことに決めた。最近では「デザイン人類学」という言葉も聞くくらいデザイン界隈でも認知されてきた文化人類学だが、当時はまだまだデザインとは遠い存在だったと思う。僕自身も文化人類学の書籍を読んだり、映像人類学の映画を観たりしていたが、デザインとはかけ離れた世界だと考えてきた。しかし、その遠さが自分にとって重要だった。文化が異なる世界に触れ(ここまでのプロセスはデザインの仕事でも共通する部分はあった)、その世界を通して自身の視点や価値観がからりと変わってしまう(ここが当時のデザインの経験とは圧倒的に異なるものだった)ことに快感を覚えた。まだいくらでも自分は変われる。まだまだ自由だ。そう思った。

そのかけ離れた世界に自分も飛び込もう、と思ったきっかけは、文化人類学者でコートジボワールをフィールドに研究されている鈴木裕之氏の著書『恋する文化人類学者 —結婚を通して異文化を理解する』(世界思想社、2015年)[図1]だった。この本の最後の章に鈴木氏はこう書いている。「私は文化人類学がもっと世間に浸透し、勝手に『人類学する』人が増えればいいと思う。(中略)ただただ自分の感性を信じ、自分自身の関心にあわせ、文化人類学と直接対峙してもらいたいのだ。」(p.219)そうだ、自分もやればいいんだ。憧れていた学問が、急に自分にも関係のある世界に思えてきた。専門的な教育を受けていない自分でも文化人類学を「やる」許しをもらった気がした。

「問い」を抱えながらデザインを“使う”
図1:コートジボワールでの鈴木氏自身の結婚体験が文化人類学的視点で読み解かれ、同時に文化人類学の入門書にもなっているという稀有な本。

デザインで文化人類学をやる。そのためにはまず自分の居場所の外に出なければ。そう考えた僕は、独立後すぐに中南米にわたり、いくつかの国を経由し、最終的にブラジルのサンパウロに滞在することになる。そこは、自分が今まで生活してきた場所とは、ルールも、コミュニケーションも、風景も、人々も異なる場所。そのなかで僕は現地の路上文化に魅了される。多様な背景、文化、スタイルをまとう人たちが、グラフィティ、露天商、デモンストレーション、カーニバル、スケートボードといったそれぞれのやり口で街を使い倒している[図2]。その風景を見て、今まで信じこんできた街や公共空間に対する考え方がガラガラと崩れた。街をゆく人たちが、“設計”や“デザイン”の意図を軽々と無視し、勝手に読み替え、それぞれの都合で利用する。その姿がなんと刺激的で豊かで心地よかったことか……これこそが“街”のあるべき姿じゃないか、と思った。

グラフィックデザインには、“コントロールする”ことを目的とする性質がある。精神的にも物理的にも人を誘導する/購入や利用をうながす/取捨選択した情報を伝達する/ある特定の感情を想起させる……。しかし僕は、コントロールしようとする人たち(デザイナー)が想定していない方法で、使い倒されるサンパウロの路上の姿に憧れをもってしまった。今までやってきた自分のデザインがあの豊かさをつくれるとは到底思えない。いや、そもそもそれを“つくれる/つくれない”と思っていることこそが、傲慢な視点なのではないか。

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図2:サンパウロ中心部にある広場。特別なしつらえはなくとも、自然発生的にスケートパークになる。

帰国後、フリーランスのデザイナーとして仕事を始めると同時に、サンパウロの路上の素晴らしさを共有すべく、現地で制作した映像コミック自主イベントのかたちで発表しはじめた。映像とコミックの基本的なスタンスは「問い」だ。そもそもどうやったら僕が憧れる“街”が日本で生まれるのか全く見当がつかない。なにしろ差がありすぎる。まずは、見てきたこと、聞いてきたこと、考えてきたことを束ねて、検討材料として世に投げ込んでみよう。そういった「問い」を投げ込む方法は、文化人類学から学んだことのひとつだ。イベントタイトルを「街は誰のもの?」(後に映画本編のタイトルとなる)とすえ、意識的に「問い」を投げる。とくに映像について面白がってくれる人が多く、いくつかの都市の映画館でも公開に至った。映画のアフタートークとしてさまざまな分野の専門家をゲストに招いて話したことや、映画を観た人の反応を経て自分が投げた「問い」が拡張していく経験には手応えを感じた。

ただ結局のところ「実現するには?」という問いにはいまだに「どうしたらいいんですかね……」としか答えられない。デザイナーなら議論ではなく、デザインという行為で効果的な「解」を出すべきだといわれるかもしれない。しかし、僕はここで反論する。デザインという行為が「解」を出すだけの装置になってはならないと思うからだ。その“「解」を出すべきだ”という意見の根底には、結局のところ“デザインが人々の動きや空間のあり方をコントロールできる”という思想があると感じる。その先には僕が憧れるサンパウロの路上の姿はない。

ブラジルのプロジェクトと同時に、ワークショップを軸としたアートプロジェクトの企画運営も始めた。近年では、“背景が異なる他者(ここでは主に海外にもルーツをもつ人々)”との協働のあり方を探るプロジェクトを続けている。実は、このテーマもブラジル滞在の経験がきっかけになっている。ブラジルの都市部、とくにサンパウロにはさまざまなルーツの人々が混合しながら共存しており、それは先述の路上文化を生み出す背景にもなっている。

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図3:フィクション作品を製作中の海外に(も)ルーツをもつメンバーたち。フィールドワークやインタビューを通して自身、他者のルーツに向き合うことを経て、フィクション作品の製作に入った。

そして、このプロジェクトを成り立たせているのも「問い」である。初年度の「CORSS WAY TOKYO」というプロジェクトでは、「背景の異なる他者と、どのように関係を築けるか? また、その関係を語ることができるか?」という問いのもと、参加者がリサーチや実践を重ねながらそれぞれに“メディア”をつくる、という課題設定で行い、次年度の「Multicultural Film Making(MFM)」[図3]では、「背景の異なる他者と、どのように協働し、新しい表現を生み出せるか?」という問いのもと、映像制作という手段を使って協働の現場をつくり、最終的に一本のフィクション作品を完成させた。そして現在進めている「KINOミーティング」ではMFMの問いを進め、「東京の中のさまざまなエリア、コミュニティと協働するためには?」という問いを抱えながら、海外にもルーツをもつ人たちの視点を借りて“街”によりフォーカスしようと実践を続けている。

「問い」とワークショップはすごく相性がいい(セオリーのひとつなんだろうけれど)。一応こちらではプログラムを設計して、このワークではこういう作品が生まれて、次はこういう反応があって……などと、予想しながらフレームをつくるのだが、参加者のポテンシャルを引き出せば引き出すほど、そのフレームが壊れて想定とは異なる応答が生まれる。むしろ、そうなることを望んでいる。一方通行のデザインからは得られないインタラクティブな反応に可能性を感じる。

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図4:映像素材のサムネイル画像をプリントアウトして、マスキングテープで貼り付けながら編集方針を固めていった。

こう書いていくと、自分のやっていることはグラフィックデザインとは離れているように判断されるかもしれない。ただ実際には、映画制作やアートプロジェクトを進めるときにも、グラフィックデザインを実践するのと同様の技術を用いている。たとえばリサーチやフィールドワークは、クライアントへのヒアリングや現地調査に近く、あくまでも情報を発信する側ではなく受け取る側に立って、客観的に、ときには意図して主観的に、ものごとを見極める。また、僕にとって映画の編集作業はブックデザインの工程とほとんどイコールで、シーンごとの時間を本のページとして捉え、台割りを組むように全体の構成や作品全体のリズムを構築していった[図4]。そして、ワークショップの設計ではブランディングやプレゼンテーションの経験をそのまま応用している。長期間かけて行うブランディング案件でクライアントを巻き込むように、相手の主体性を引き出す工夫を仕込みながらワークショップのプログラムをつくる。

グラフィックデザインは情報の編集を通したコミュニケーションだと僕は考えていて、それであれば上記以外にもさまざまなかたちで応用できるはずだ。ただ、技術としてはそれぞれに同様でも、目指すものが「解」か「問い」かでそのときの態度は大きく異なる。わかりやすく、美しく一方的に発信するだけではそれは「解」になってしまう。自分の考えと矛盾することや、都合の悪いことも含めてすくいあげることで「問い」は拡張する。僕はここ数年、このようなプロセスを通してグラフィックデザインを“使っている”という感覚をもつようになった。きっとこれが自分にとっての「デザインで文化人類学をやる」ということなのだ、と現時点では考えている。

今年(2022年)の3月に、高知県の土佐市[図5]に移住して新しいプロジェクトを始めた。地域おこし協力隊という地方移住の制度を用いて「海外からの技能実習生と地域住民との交流をつくる」というミッションに取り組んでいる。任期は3年だが、そんなに簡単に結果は出ないと考えているから、しばらくはここで生活を続けるつもりだ。文化人類学的にいうと、ここは自分にとっての新しいフィールドになる。

「問い」を抱えながらデザインを“使う”
図5:高知の緑は猛々しい。

ミッションのテーマにも関わる技能実習制度は、人権問題として国内外から批判されており、僕自身も制度を廃止して労働者、生活者として当然の権利を実習生たちがもつべきだと考える。しかし、すでに多くの実習生が生活し働きながら、日本の、とくに地方の産業を支えていることにも目を向けなければならない。そして、それは都会で生活していると見えてこない世界でもある。東京、それも都心で、海外にもルーツをもつ人たちとの協働を目指してプロジェクトを進めてきたけれど、技能実習生たちに出会うことは一度もなかった。

このプロジェクトを始めようと考えたのは、このフィールドとミッションが、ここまで書いてきた自分の興味の延長線上にあると感じたからだ。都市部でしか仕事をしたことのない自分にとって「外」にあるフィールドであること、異なる背景をもつ人たちとの共存・協働を目指すミッションであること。そして、「解」を目指すブランディング的まちづくりとは異なる、「問い」を抱えながらの実践が可能/必要であること。実際に何ができるかわからないが、デザイン“する”ではなく、デザインを“使う”ことによって、自分のデザインだけでは届かない経験をこの地の人々と共につくろう。そして、その経験をこの地にいない人たちと共有しよう。その先に、本当におぼろげだけど、サンパウロの路上が見える気がするから。

阿部航太(あべ・こうた)

 

廣村デザイン事務所を経て、2018年よりデザイン・文化人類学を指針にフリーランスで活動を開始。2018年から19年にかけてブラジル・サンパウロに滞在し、現地のストリートカルチャーに関する複数のプロジェクトを実施。2021年に映画『街は誰のもの?』を発表。近年はグラフィックデザインを軸に、リサーチ、アートプロジェクトなどを行う。2022年3月に高知県土佐市へ移住。

http://abekota.com

公開:2022/08/22