The Graphic Design Review

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青い線に込められた声を読み解く

青い線に込められた声を読み解く

能登半島に大きな被害をもたらした地震の最中、その日々の状況をグラフィック化した図像がソーシャルメディアに投稿された。このシンプルに構成されたグラフィックが現地の様子と人々の感情をありありと伝えるのはなぜか。また、この作者はどのような思いでこの作品を描き、投稿したのか。「グラフィックレコーダー」として活動する清水淳子が取材を通して考える。

声を描く仕事とテクノロジー

 

私は2013年からグラフィックレコーダーと名乗り、会議やシンポジウムで話される内容をグラフィックとして大きな紙に描き出す仕事を行っている。話し合いで交わされる声たちには、はっきりとした形が無い。そのため会議の参加者で解釈がバラバラになり、話が噛み合わず、それが大きな齟齬になりぶつかり合いになることは珍しい話ではない。話し合いを円滑にするために、グラフィックレコーダーは人々の話し声を文字や絵や図などに置き換え、リアルタイムで参加者全員に会議の内容を視覚言語として共有するのだ。

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この仕事を始めた頃、日本ではシリコンバレー発祥のスタートアップのカルチャーが定着し始め、イノベーションのような言葉たちがビジネス紙の中で幅を利かせていた。それに伴い、日本には馴染みのなかった新しい価値を生み出すための試みが多く生まれ、その未知の概念や思考を描き出すために、グラフィックレコーディングを行う機会も増えた。また同時期に「ビッグデータ」という言葉が目立ち始め、AIの登場や今までの当たり前が根本から変化していくことが示唆されていた。私はグラフィックレコーダーの効用を説きつつも、この仕事が近い将来AIに取って変わられるようになる可能性、すなわちグラフィックレコーダーという仕事が不要になる未来も予感していた。

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そこから約10年経った2024年の今日。テクノロジーはさらに発展を遂げた。にもかかわらず、人間のコミュニケーションについてのトラブルは無くなる気配がない。それどころか、今まで以上に新たな齟齬を生む機会が増えているようにすら思う。まだまだグラフィックレコーダーの仕事に大きな変化はなさそうだ。人の声を、人が聞いて、人が描く。一見、非効率で無駄が多いプロセスに見える。しかし、この行為は、どんなにテクノロジーが発展しても変わることのない、根源的な人間の営みなのかもしれない。

 

震災の体験を凝縮した感情の波

 

そんなことを強く感じる事例に出会ったので、紹介したい。このグラフィックは、2024年1月1日に発生した能登半島地震で被災した金沢美術工芸大学4年の坂口歩さんが描いたものである。1月1日の震災発生からどのような変化があったのか。左から右へ時系列が進む中で、坂口さんが体験した出来事を描き出している。

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震災の発生時、坂口さんは冬休みで実家に帰省していたという。突然の震災に驚き避難した坂口さんは、「とにかくこの状況を知ってほしい」という強い気持ちをエンジンにこのグラフィックを描き、SNSプラットフォーム X(旧Twitter)で発信した。私は震災の発生後、衝撃的な写真や動画で埋め尽くされるタイムラインの中で偶然、坂口歩さんの描いたグラフィックを見かけた。混乱極める情報の中で、衝動や情熱だけでは成し遂げられない伝えるための工夫に息をのんだ。

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このグラフィックは日本古来の絵巻物のような、UXデザイン分野ではお馴染みの「カスタマージャーニー」と同じ仕組みで構成されている。カスタマージャーニーとは、顧客の行動を旅に見立て、左から右の時間軸に沿って記していく年表のようなもので、顧客の「いつ、何を考え、どう動いたのか?」という体験をこと細かに可視化する図のことである。プロジェクトのメンバーはこのグラフィックを通じて本来的には他者である顧客の視点や感覚を共有し、適切な接点を見つける。現代では多くの企業で導入されている方法だ。

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グラフィックには青い線が目立っている。これは坂口さんの気持ちの変化を示している。能登半島地震が発生した1月1日の始まりには、青い線が静かに横に伸びており、気持ちがゼロ地点のフラットであることを伝える。そこから午後4時10分頃に地震が発生し、気持ちは一気に不安に下がる。青い線は不安定に揺れながら下がっていく。この青い線を目で追うことで、見る者は坂口さんの気持ちにシンクロしながら震災の時間軸を追体験する。

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私は被災体験をしたことがないので想像でしかないが、あまりに非日常な体験をした時、人は膨大な情報に押しつぶされないようその処理をストップしてしまうように思う。ひとつひとつに正面から向き合っていたら心が持たなくなってしまう。しかし坂口さんは、観察をストップすることなく、膨大な情報を「感情の波」というメタファーに凝縮させているように感じた。

 

また色の選択において、不安を想起させつつ冷静さも兼ね備えた青を選んでいることも興味深い。人々は青い線の動きに自分自身の状態を重ね合わせ、線の震えに想像を膨らませ、今自分のいる日常からの差分を考え、当時の状況に心を寄せることができる。自分が体験しえない時間軸をシンプルな1本の線を共通言語として追体験させる、その鮮やかさに私は驚いた。

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伝えるという根源的な営み

 

震災から半年を過ぎた夏、坂口歩さんと対話する機会を得た。そこで坂口歩さんは何も考えずひたむきにこのグラフィックを描いていた日々のことを語ってくれた。私には伝えるための工夫を考え抜いたうえで作られたように思えたが、当時はそれどころではなく、とにかく自分の見た光景を描き出さねばという強い衝動のもとに膨大な量を描き続けていたとのことだった。

 

坂口さんがグラフィックを描いた際の感覚と気持ちを知ると、戦略的な意図が組み込まれたジャーニーマップよりも、2万年前に描かれたといわれるラスコーの洞窟壁画が思い浮かぶようになった。ラスコーの壁画は何のために描かれたかはいまだ不明とされているが、その日に見聞きした体験を話しながら衝動的に描いたということも考えられる。

 

私たちデザイナーやクリエイターは表現を日常的に行っているつもりでも、社会に出るにつれ衝動だけでビジュアルを生成できるような機会は減っていく。しかし本来の表現とは、坂口さんのように湧き上がる衝動に押され、自然に手が動いてしまう瞬間に生まれるものを指すのかもしれない。自分で見たものを相手に伝えるために描く、そんな原始的な営みにしか宿り得ないパワーが坂口歩さんのグラフィックにはあるように思う。

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心の居場所を伝える新しい形式

 

GPS技術とネットによって人の居場所を地図上で明確に共有できる時代になったが、その人の心がどのような状態にあるのかは、どんなにテクノロジーが発達しても実際に聞いてみなくてはまだまだわからない時代なのだ。そして、本当に辛い時に、自分の心の状態を自分で見つめ、他者に状況を説明し発信する気力を持てる人は多くない。そんな時のためにジャーナリズムは存在しているのだろうけど、大きな災害時には、「情報トリアージ」をせざるを得ない状況もあるだろう。情報トリアージとは、藤代裕之ほか「大規模災害時におけるソーシャルメディアの活用」によると、「最善の救助・支援などを行うために,膨大で玉石混交な情報が流通し、かつ時間的制約がある状況で,情報の優先度を決めること」と定義されている。メディアが持つリソースには限界があるので、ジャーナリストたちは緊急事態下においては、生死に関わるような情報から順番に取り上げることになる。残念ながらすべての被災者の心の状態を丹念に伝える仕組みは、既存のメディアにはまだ整っていない。

 

今回、坂口さんは、プロのジャーナリストの目が届かない場所で、自分で自分のインタビューを行っているようにも見えた。写真家が自分を撮影するセルフポートレートのように、グラフィッカーが自分の声を描くセルフインタビューだ。いつ何が起きたのか?どんな風景が見えているのか?その時どのように感じたのか?心の状態を自分自身でヒアリングし、ビジュアルにて回答する営みとも考えられる。また自分だけではなく、自分自身家族やコミュニティに起きている困難を代弁するような頼もしさをビジュアルから感じた。

 

その頼もしさから、私はアドボカシー(advocacy)という言葉を想起した。小さな子ども、何らかの障害を持った人、高齢者など、本来持っている権利を何らかの理由で主張できない状況にある人々の権利を代弁・擁護し、権利実現を支援する活動のことだという。特に看護の現場では、患者さんにとって最善かつ倫理的な看護を実現するため、このスキルを身につけることが必要とされているそうだ。看護の現場だけでなくデザインの現場でも、アドボカシーに似た感覚で人々の求めるものを読み取り、代わりにカタチとして描き出すプロセスはあるように思う。

 

坂口さんは、自分自身の声を掴み取るのと同時に、周りの人々の様子も無意識に取材していたのではないだろうか。人々の声に敬意を持ち、代弁に値する線やカタチを瞬間的に選び取りながら、スピード感を持って発信している。無我夢中で描いたというが、非常に複雑な情報を絶妙なバランス感覚で整えており、高度な情報設計力が発揮されていると絶賛したい。どんなテクノロジーでも捉えられない心の在処を可視化している。またAIの台頭により、精巧な映像や写真が本物とは限らなくなってくる時代において、属人性の高い手書きの視覚的手法を緊急時に用いることは、信頼ある情報として見なされるようになるかもしれない。新しい形式のジャーナリズムとしてのヒントもあるように感じた。

 

見ること知ること

 

私たちはスマホの表面を指で撫でるだけで、世界で何が起きているのか見ることができる時代に生きている。友人のランチやバケーションの様子、誰かの作品、オリンピックの開会式、台風の被害、戦争……。でも、本当に何かを「見る」だけで人は「知る」ことができるのだろうか。テクノロジーによって距離を超え、世界中のすべての情報を手に入れられる気分に陥ることがあるが、それは紛れもなく勘違い、錯覚だ。

 

坂口さんは2024年1月31日に、あの日からの1カ月を5mのボードにまとめた展示を行った。私はこの展示を現地で見ることはできなかったが、ジェットコースターのような感情の波の中で、震災に伴うさまざまな出来事が丹念に描かれているように感じた。

青い線に込められた声を読み解く

他者の時間軸と居場所に強く心を寄せることは簡単ではない。しかし、坂口さんは混乱極まる被災地で、青い1本の線に複雑な感情と状況の変化を込めた。この青い線には、どんな高解像度のカメラや録音機材、コンピュータでも読み取ることのできない声の情報が詰まっている。

 

幼い頃は誰もが当たり前に描いていた絵だが、大人になると立派な絵でないと人前で描くのは恥ずかしいと考えてしまうのは何故だろう。また、私や坂口さんのような手書きの絵で伝える行為は、フォーマルな形式から遠ざかるようで敬遠する人も多いように思う。しかし、手書きの絵で伝えることをひとつの言語として多くの人々が扱っていくことで、伝達の可能性はもっと広がっていくのではないだろうか。

 

終わりに。本原稿を書き始めたのは8月の終わり頃である。書き進める中で、輪島市では仮設校舎が完成し、6つの小学校が合同で2学期の始業式を迎えるニュースがあり、少しずつではあるが日常を取り戻すための入り口が見え始めていた。しかし原稿の完成が見えた9月の終わりに突然の豪雨が降り、能登半島に再び大きな困難が訪れてしまった。私はメディアを通して伝えられる情報をもとに、そこに暮らす人々に心寄せることを試みるが、すぐに何もできずに無力で心苦しくなる。

 

そんな時、坂口さんが青い線として描き出したグラフィックが脳裏に浮かび、能登の人々の心はどのような状態になっているのか? 私に想像を促す。想像は想像でしかないが、それでも想像することから人は繋がりを作ってきた歴史があるのだと信じたい。自分の生活の時間軸から逃れることはできないが、能登半島に暮らす人々の声を想像し続けよう。

◆関連リンク

 

坂口歩さんのXアカウント
https://x.com/sinpiiin

 

NHK防災:能登半島地震・半年 何が復興を妨げるのか 私たちはどんなことが支援できるのか(NHKサイト)

https://www.nhk.or.jp/bousai/articles/30349/#mokuji06

 

令和6年(2024年)能登半島地震に係る災害義援金の受付について(石川県HP)

https://www.pref.ishikawa.lg.jp/suitou/gienkinr0601.html

 

令和6年9月能登半島豪雨災害 緊急支援募金(Yahoo!基金)
https://donation.yahoo.co.jp/detail/1630070

清水淳子(しみず・じゅんこ)

視覚言語研究者/インタラクションデザイナー

人々のクリエイティビティを高めるための視覚言語のデザイン、多様な価値観を持つ人々が集まる話し合いの可視化を専門とし、著書に『議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書』(BNN新社)がある。2013年から2017年にUXデザイナーとしてYahoo! JAPAN在籍。2019年、東京藝術大学デザイン科にて修士課程修了。現在は、ビジュアライズ手法の開発、作品制作、執筆などの活動を通じて、ビジュアルで思考することの可能性を探求中。

公開:2024/10/08