The Graphic Design Review

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展覧会という菌床(2)

GRAPHIC WEST 9: Sulki & Min
展覧会という菌床(2)

2021年1月から3月にかけて韓国のデザイナー・デュオ、スルギ&ミンの展覧会「GRAPHIC WEST 9: Sulki & Min」が京都dddギャラリーで開催された。2000年代半ばから現在にかけて韓国のグラフィックデザインシーンの変化に大きく寄与した二人の15年にわたる活動を俯瞰した本展は、隣国でありながら同時代に日本のわれわれとは対照的なシーンを形成する彼の地の変化の起点を示すものでもあった。

 

大阪と京都を拠点に活動してきたdddギャラリーでは、これまでにもアジアのグラフィックデザインを取り扱った展覧会シリーズが企画されてきた。本稿ではその「GRAPHIC WEST」展シリーズを振り返りながら、本サイト編集長の室賀清徳と同編集委員であり「GRAPHIC WEST」のキュレーターを何度か務めた後藤哲也による対談形式で、これまでの経緯を踏まえながらスルギ&ミン展を紹介してみたい。

デザインを展示するということ

 

後藤哲也(以下、G) 「GRAPHIC WEST」という枠組みはdddギャラリーがまだ大阪にあったときからある展覧会シリーズで、当初の意図としては関西のグラフィックデザイナーを紹介する企画でした。2011年の「GRAPHIC WEST 5: Type Trip To Osaka(以下、GW5)」からその枠を拡張して、海外を含む「東京以西」の意味合いが加わり、「GRAPHIC WEST 7: YELLOW PAGES(以下、GW7)」、そして今回の「GRAPHIC WEST 9: Sulki & Min」と計3回、私が企画担当でアジアのグラフィックデザイナーを紹介してきました。

 

室賀清徳(以下、M) GW5では、東アジア~東南アジアの7組のデザイナー、GW7ではナ・キム(韓国)、アーロン・ニエ(台湾)、シャオマグ&チャンズィ(中国)という3組、そして今回の韓国のスルギ&ミンの個展と、だんだんデザイナーの参加数や地域が狭まって最終的には個展になってますが、その経緯や意図についてお聞かせください。

 

G GW5が開催された2011年当時は、今ほどアジアのデザインシーンへの注目は集まっていませんでした。また当時の僕自身が「グラフィックデザインの展覧会」というものに懐疑的だったので、いわゆる展覧会ではなく7週間にわたる会期の毎週末にアジア各都市のデザイナーが会場に来て日本の僕たちと対話するイベント、という前提で会場やプログラムを構成しました。

展覧会という菌床(2)
GRAPHIC WEST 5 InterView04: Sulki & Min
Photo: Omote Nobutada

M 展覧会に懐疑的だったとのことですが、それはなぜですか。それまでの日本のデザイナーの展覧会にみられた作家主義的なものへの反発とか、同時期のヨーロッパで一部の若いグラフィックデザイナーたちが試みていた実験的な展示プロジェクトを意識してとか?

 

G 当時は正直言って、そういった動きへの目配せはできていませんでした。室賀さんは、当時のそのような活動のなかで印象に残っているものがありますか?

 

M 2006年にチェコの第22回ブルノ・ビエンナーレの関連企画で「Graphic Design in White Cube」という展示があり、それが自分が観測した、デザインを美術館空間で展示することについてのメタな批評的視点を打ち出した最初のものだったように思います。

 

G 私は室賀さんが、アメリカのジョン・スエダによる実現しなかったデザインアイデアを展示する「All Possible Futures」展(2014年)を日本の中堅デザイナーがどう捉えるか、座談会を企画したけどうまくいかなかった、と話されていたことを印象的に覚えています。

 

M 「All Possible Futures」は今風にいえば「スペキュラティブ・デザイン」についての企画なんですが、日本の若手デザイナーによる討論を企てたんですね。でも、自分がモデレーターとしてダメでお勉強会みたいにしてしまって、この展示が前提とする「修辞的な装置としてのデザイン」のリアリティと参加者のリアリティをうまく接続できなかった。話を戻すと2000年代半ば以降、デザインの展覧会というフォーマットは、20世紀に確立したグラフィックデザインをめぐる諸制度について批判的な検討や再定義を行う場として使われていた、という印象があります。欧米ではグラフィックの展示はそんなに頻繁ではなくて、日本のように大手企業のメセナ的な施策のなかで定期的に行われているというのは、世界的にはかなり特殊な例です。後藤さんがデザインの展示に懐疑的だった、というのはたぶん、そういう日本の文脈についてのことだと感じます。後藤さんが展示というフォーマットを前向きに捉えだしたのは、なにがきっかけだったのでしょうか。

 

G  GW5での協働をきっかけに、 スルギ&ミンのチェ・ミンに韓国のタイポグラフィに焦点を当てたデザインビエンナーレTypojanchi 2013にキュレーターとして招待されました。このビエンナーレが僕の展覧会に関する考えを決定的に変えたもので、グラフィックデザインにおいても展覧会というフォーマットが有効であると強烈に感じました。それまでは、室賀さん先述の通り、作家主義的な日本のグラフィックデザイン展に違和感を感じていました。アートの代替物としてのデザイン、のような考えがデザイナー自身から滲んでいるような感じもまま見受けられましたし、そもそも街の中で見て手に取れるデザインを展覧会で見せることに意味を見出せていなかった。Typojanchi 2013はSupertextという大きなテーマの下にサブテーマをいくつか掲げ、それに沿って同時代の世界のデザイナーの作品を展示していました。

 

M ポール・エリマンやジョン・モーガンなどの欧米勢と大原大次郎、シャオマグ&チャンズィら東アジア勢、そして韓国の若手〜中堅世代がうまく組み合わさっていましたね。

 

G そこには作家主義的な構えやアートへの劣等感のようなものはなく、それぞれの作品の文脈は尊重しつつ、他の作品を並列させることによって大きな意味を生み出していました。デザイナーその人自身ではなく、デザインされたものを作品として批評的に取り扱い、それらを用いて新たな意味を生み出すことができるということに気付かされたんです。展覧会というメディアを考えれば当然のアプローチだとも言えますが、日本ではいわゆるグラフィックデザインの文脈でそれを見ることがなかったので、そこからこういったことができる韓国のデザイナーたちやそれを取り巻く環境に関心を寄せるようになりました。その筆頭がスルギとミンになります。

 

スルギ&ミン展の構造

 

M スルギ&ミンは2010年代の韓国のグラフィックデザインにおいて大きな影響を与えてきたデザインチームです。ごく粗く背景の文脈を説明すると、1970年代生まれの彼らは韓国の民主化、冷戦構造の終わりの後、情報産業の発展とグローバル化がすすむ時代にデザインを学んできた世代ですよね。それまでのデザイナーであれば「東アジア近代化の最新モデル」としての日本を参照する側面もあったけれど、かれらの世代はそういった旧世界の重力圏から離れてグローバルな文脈に直接つながっていった。スルキ&ミンはとくにその最前衛として影響力を発揮していった。話しを最初に戻すと、今回かれらを迎えしかも「個展」というフォーマットにしたのはなぜでしょうか。

展覧会という菌床(2)
GRAPHIC WEST 9: Sulki & Min
Photo: Yoshida Akihito

G Typojanchiの後、2018年に開いたGW7は『アイデア』での連載「YELLOW PAGES」を立体化するもので、誌面を展開するという手法自体は結局GW5とほぼ変わりません(笑)。ただ、印刷会社や写真家、編集者など、デザイナーの仕事に関わる人たちの紹介を組み込み、それぞれの国のデザイナーたちの仕事の文脈化を試みました。つまり、オムニバス形式で”Asia Design Now”的な紹介だったGW5から、それぞれの背景に迫ったのがGW7になります。これらの準備を経て、ひと組のデザイナーにフォーカスできる時期が来たと感じたのが個展で紹介するに至った理由のひとつです。

展覧会という菌床(2)
GRAPHIC WEST 7: YELLOW PAGES
Photo: Gottingham

もう一つは、僕自身、グラフィックデザインの展覧会をする際にグループ展形式で行うことがほとんどだったのですが、それは前述した作家主義的に見えてしまうことへの抵抗感があったからです。自分自身の能力とデザイナーの志向がうまく噛み合わなければ、デザイナーの権威付けに加担するだけではないかということを危惧していました。ですが、スルギとミンとであればそのようなことにはならないと長年の協働でわかっていましたので、今回は個展形式に挑戦してみました。

 

M なるほど。

 

G 特に尊敬しているデザイナーなので、あまり“デザイン”された展覧会にはせず、ふたりの仕事やその背景のアプローチがしっかりと伝わる展覧会を目指しました。スルギ&ミンはこれまでに個展を何回も開いていますが、特定のテーマを持ったプロジェクト的な展示しか行なっておらず、今回のようにコミッションワークを含めた過去作品を陳列する展示は行なっていません。しかし、文脈を知らない日本のオーディエンスに突然難解なテーマ企画を行うほど二人も傲慢ではないので、まずは“ベスト盤”的にこれまでの代表作を紹介することにしました。また、二人のアプローチ自体が現代の日本にはあまり見られないものなので、作品の文脈がそのまま伝わるようにテキストだけをまとめた『作品解説』も副読本として制作しました。

 

M 展示物の多くが日本でオンデマンド印刷されたものだというのも面白く感じました。重要なのはコンセプトの伝え方であって、紙や印刷への態度は冷静。質感やディテールに注力する日本のデザイナーとは対照的ですね。複製品でしかないグラフィックデザインを、あえて美術館の展示のように淡々と見せた展示構成にもその意図を感じます。

 

G グラフィックデザインの作品は基本的には街のなかにあるものなので、これまで私が企画した展覧会では、本などは手に取れるようにしてきたのですが、今回は広報物同様、全体を概観することでスルギ&ミンの一連の作品群の核を立ち上がらせようと考えました。正直すべての作品はふたりのウェブサイトで見ることができますし、また解説もすべてサイトに掲載されています。加えて、ご指摘の通りすべてがコピーであり、いくつかの作品についてはコピーのコピーでもあるので、展示として立体化したときに新たな意味を生み出すことができるとすれば、それは一覧性にあると思いました。なので、今回は全体を見渡せるような展示構成にしました。

 

展覧会という菌床(2)
スルギ&ミンの15年間の作品群が時系列に展示された展示会場
Photo: Yoshida Akihito

M スルギ&ミンとはどのように作業を進めたのでしょうか。

 

G 綿密なディスカッションや指定があることも想定していたのですが、拍子抜けするほどすべてをこちらに任せてもらえました。同時に、二人はどの順番でどのような方式で展示されても浮かび上がる軸があることに自信があるのだなと思いました。スルギ&ミンの一連の活動のコンセプチュアルさにはいつも感心させられるので、その側面がしっかりと出たものを僕が選び、それに二人から挙げられた作品を混ぜていったという具合です。

 

M コンセプトというキーワードが出ましたが、これまたすごく粗く解説すると、2000年代以降、グラフィックデザインの最前線では、デザイナーの感性から導き出される造形を中心としたグラフィックから、コンセプトにもとづく言語的なアウトプットへのシフトが目立ちました。その中心を担った方法が意味の生成システムとしてのタイポグラフィだった。このタイポグラフィというのはいわゆる文字組版だけではなくて、概念的な方法とでもいうべきところで、そのアウトプットが文字に限らないわけですね。

 

G 日本語でタイポグラフィというと書体や字詰めの精妙さに言い換えられがちです。

 

M この潮流はより大きなことを言ってしまえば、デジタルネットワークのなかでイメージや記号の断片に解体されゆく世界、あるいは資本や産業構造のなかでバラバラになってしまう人間存在を形而上的につなぎとめる方法として前景化してきたんじゃないかな、と思います。また、スルギ&ミンやナ・キムといった韓国のデザイナーがそういった欧米のポストグローバル的なモダニズムと共鳴してきたのも、韓国がハングルという自国の書字体系につねに意識的であり続けてきた事実と無関係ではない、と思います。

展覧会という菌床(2)
GRAPHIC WEST 9: Sulki & Min B2ポスター
Design: Sulki & Min

アジアのデザインを考えるために

 

M しかし、緊急事態宣言下で仕方ないとはいえ、集客には苦しんだようですね。

 

G 来てくれた人たちの滞在時間は長かったのですが、来場者数という点では苦戦しました。通常は京都という土地柄、大学の研修が多いギャラリーなのですが、それがすべて無くなったのもきびしかったですね。集客という点だけでなく、スルギ&ミンの活動に出会う人が限られてしまったのが残念です。いまの若い人たちは韓国カルチャー、とくにエンタテインメントに自然に触れる機会が多いのですが、それらとはまた違った一面を見せるふたりの作品群にどのように反応するのか、興味がありました。

 

M デザインのリアリティが変質して、デザイナーの海外、ひいては文化への関心が低くなって、功利効率の問題にひっぱられがちのようにみえる。そんな状況下で後藤さんはずっとアジアの国々を取材してきて、今『アイデア』誌上で韓国のグラフィックデザインに関する連載を持っていますが、なぜ韓国にフォーカスを当てようと思ったんですか?

 

G コロナ禍で韓国映画やドラマを見る機会が増えて…というのも半分あるんですが(笑)、2011年に初めて取材して以来、彼の地のグラフィックデザインシーンの発展と成熟を見てきたなかで、それらをしっかりと文脈化してまとめてみたいと思うようになりました。デザイナーそのものにもフォーカスを当てながら、大きなカテゴリー──例えばK-POPとか、出版など──に振り分けて韓国のグラフィックデザインを見てみたいなと。とは言え、すべてを網羅するのは無理なので、僕が韓国のデザインに関心を寄せるきっかけとなったスルギ&ミンを起点に、枝分かれしていく内容になると思います。

 

M 連載記事のインタビューは彼らが自身の学生時代からのキャリアや影響関係を赤裸々に語っていて、個人的にすごく面白かったですね。わりとフランクなのが意外でしたけど。ここで話されていることと展覧会はトータルに連動して伝えられるべきだと思いました。コロナがなければトークショーなどで補えたかもしれないけれども……。

 

G 会場には『アイデア』を置いていたんですが、もっと展示作品と絡み合わせてもよかったかもしれません。展覧会を企画するたびに「もっと説明がほしい」と言われるので、そこは課題ですね。連載に関して言うと、最終的にはスルキ&ミン以前に、韓国のグラフィックデザインに革新的な変化をもたらしたアン・サンスさんのインタビューなどに還流できればと考えているんですが、いかんせん僕の知識はスルギ&ミンがソウルに戻った2005年以降に集中しているので、それ以前についてはぜひ室賀さんの助言をもらいたいところです。韓国、日本、そして中国の東アジアの先人たちが、漢字文化圏のなかでいかにグラフィックデザインを受容、展開させていったか、インターネット以前のネットワークと文字、その相関について展覧会で見れる機会が作れたらとも思います。

 

M 私が最初に韓国のデザイナーたちについて知ったのは、2000年にICOGRADA(現・国際デザイン協議会/ICoD)の世界会議がソウルで開かれたときでした。この時期以降、韓国企業が電子機器やITの分野で世界進出していくわけですが、そういう時代の気運というか、デザインでも世界につながっていくという勢いが感じられた会議でした。それと同じ時期にグラフィックデザイナーの杉浦康平さんがアジアの図像研究やブックデザインの実践を通じて、中国であれば呂敬人、韓国であればアン・サンスといった指導的デザイナーとのネットワークを築いていたんですね。杉浦さんが中韓のデザイナーとの間をつないでくださって、各国の若い世代とも知り合えたんですね。それから先ほどのTypojanchiもそうですが2000年代以降、韓国では頻繁に国際デザイン会議が開かれて、よく呼んでもらいました。そのときのシンポジウムや雑談でも、とくに若いデザイナーと「東アジア」「漢字文化圏」というのはいったいどういう枠組みなのか、しばしば話題になりました。交流についてポジティブな一方で、日本と周辺国との戦争責任をめぐる摩擦が表面化してきた時期でもあったし、素朴な連帯に回収できない感じはあった。少なくとも日本の私からそういう発言はできないっていうのかな。

 

G 僕も『アイデア』でアジアのデザイナーを紹介する「Yellow Pages」という連載を始めたとき、韓国の少し上の世代のデザイナーから飲みの席で「また日本がアジアをまとめようとするのか」と冗談で絡まれたことがありますが、そういった見え方をすること自体に気をつけないといけないなあと思いました。ただ、若い世代に関して言えば屈託なく交流が進行しているように思います。

 

M 長くなりましたけど、スルギ&ミンの仕事や韓国のグラフィックデザインについて考えることは、そのまま欧米やアジアをはじめとする世界各地のデザイン、そしてそのなかの日本の状況について考えることにつながります。それはふわっとグローバルな「デザイン思考」などではなくて、実際の世界を構成するイデオロギーやリアリティについて考えることですよね。コロナ禍のなかで、そういうことを考えるプラットフォームを空間的にも概念的にももういちど構築していく必要を強く感じています。一連のアジアのデザインをテーマにしたGW展も『アイデア』の連載も、いってみれば既存のグラフィックデザインの業界制度のインフラを再活用してきたものですけれど、今後どうしていくかが課題ですよね。そのためにはまだまだやることは多い。

 

G まさに「Yellow Pages」も現在進行中の連載「MIRRORS」も(そのタイトルの通り)自分たちの状況を考えることを目的にしたものです。おっしゃる通り、既存のグラフィックデザインのインフラの中だけで展開していくことには限界を感じています。それらに目を向けるための努力と同時に、新しいチャネルと接続させていく必要も感じています。安易なSNS活用などでない方法がどこにあるのか。この『Graphic Design Review』でもその課題に向き合っていきたいと思います。

室賀清徳(むろが・きよのり)
編集者。グラフィックデザイン、タイポグラフィ関連の書籍企画、評論、教育活動にかかわっている。本サイト編集長。前「アイデア」編集長。

 

後藤哲也(ごとう・てつや)
デザイナー/キュレーター/エディター。近畿大学文芸学部准教授/大阪芸術大学デザイン学科客員教授。著書に『アイデア別冊 Yellow Pages』、近年の展覧会に「アイデンティティのキキ」「FIKRA GRAPHIC DESIGN BIENNIAL 01」などがある。

公開:2021/04/30