ひび割れのデザイン史
モダンデザインは水平・垂直に理性を、曲線に生命を、斜めに遊びを託してきた。ひび割れはそんなデザインの世界がフラットな表層に成り立つ虚構であることを暴く。人為を越えたその裂け目に、人々は何を幻視してきたのか。古代から続くひび割れの精神史を、暗黒綺想家が浮かび上がらせる。
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亀裂のない美は存在しない。
——ジョルジュ・バタイユ『無神学大全 有罪者』
ひび割れは古代から重要な役割を果たしていた。亀の甲羅に熱をくわえて、そのひび割れで吉兆を占う中国の「亀卜」などその代表例だ【図1】。ランダムに生じるひび割れは、古代においては人知を超えた神の領域であり、魔術であった。ではこの「魔術」が「デザイン」に変わるタイミングはいつなのかと考えてみると、東アジアでは磁器に施された氷裂文や金継ぎ、時代をこえて大槻ケンヂの顔のひび割れメイク【図2】などであろうが、ことヨーロッパでいえばおそらくマニエリスム期とみてよい。30年戦争によってヨーロッパ国家間に修復不可能な亀裂が入り、さらにルネサンス的理想像にヒビが入った危機の時代に対応するように、謎の画家モンス・デジデリオが崩壊建築の絵画をあまた生み出した。
とはいえモンスの代表作「偶像を破壊するユダのアサ王」【図3】を眺めてみると、瓦礫やダイナミックにぶっ壊れる柱などに比して、意外にもひび割れへの関心はほとんどない。右端の柱の、石像の上あたりにチョロっと描かれた程度なのだ。崇高なる「崩壊」がキーワードになるモンスの爆発絵画は、じつのところ「崩壊の予兆」としてのひび割れへのフラジャイルな感性は持ち合わせていなかった。そうとなればマニエリスム時代最後の博学者アタナシウス・キルヒャー師にご登場願おう。キルヒャー『地下世界』(1655年)の地球内部を描いた挿絵【図4・5】こそが、おそらくヨーロッパひび割れデザイン史のゴッドファーザーとなる。リトアニアの綺想美術史家バルトルシャイティスは『アベラシオン』でこう語る。「彼の『地下世界』は壮大かつ夢幻的だ。火の海と水の海が、運河や川によって連絡しあい、地表の全面にわたって大洋と火山を供給している。空洞や動脈におおわれたこの地球の断面図は、どこか動物の身体組織を思いおこさせる」。
地球内部と動物身体をアナロジーしたバルトルシャイティスは卓見で、ひび割れデザイン史にはアナロジーの力が不可欠だ。「絵のある石」という論考では、断ち切られた石の断面にあらわれたひび割れデザインがあまた紹介されていて、自然現象であるはずなのに何がしかの「絵」に見えてくるから不思議だ【図6・7・8】。ひび割れは神秘と不思議を生み出すランダムなデザインなのである。
ひび割れのアナロジーとなればリヒテンベルク図形も重要になる。1777年にゲオルグ・クリストフ・リヒテンベルクがゲッティンゲンの実験室のなかで発見した、電気の放電現象のパターンである。故・松岡正剛が『リヒテンベルクの雑記帳』を千夜千冊した回で「植物の葉脈、血管ネットワークの形状、脳の神経網、みんなリヒテンベルク図形に見えてくる」と見事にアナロジーしている。
このリヒテンベルク図形にインスパイアされて『遊』1001号の「相似律」特集は編まれたのであり、上空4200メートルから俯瞰したコロラド川の河口とリヒテンベルク図形を「ヴィジュアル・アナロジー」(バーバラ・スタフォード)していて酔わせる【図9】。またリヒテンベルク図形に関連させていうと、『キリンの斑論争と寺田寅彦』というおもしろい科学書が出ている。物理学者の平田森三が、キリンの斑模様と水田が乾燥してできたひび割れが似ていることを発見し、キリンの斑模様は胎児のある時期にその表面の被膜が成長による内部の膨張に耐えられずに破れてできたもので、いわばひび割れの名残だという奇説を唱えたのだ。これが生物学者からの猛烈な批判にあったが、御大・寺田寅彦が「ちょっと待たれい」とばかりに卵細胞の分裂過程といった生物発生学の知見をもちだして擁護した有名な論争だ【図10】。ひび割れデザイン史を考える場合、こうした形態論(モルフォロギー)のセンスも必要だと分かるであろう。その意味で松岡正剛がひび割れオンリーで「かたち三昧」(高山宏)してみせたバロック的快楽に学ぶべきところ大である【図11】。
ところで放電パターンのリヒテンベルク図形が発見された1777年は、ゴシック・リヴァイヴァルが発生したのと同時代である。元祖ゴシック・ロマンス『オトラント城奇譚』が1764年。ゴシック美学は稲妻のようなギザギザでラギッドでピクチャレスクなひび割れデザインに取りつかれていた【図12】。エドガー・アラン・ポーのゴシックパロディー小説『アッシャー家の崩壊』のコンスタン・ル・ブルトンによる挿絵など見てみると、館に雷で亀裂が入ったものなど、ひび割れデザインはゴシックの常套表現であったことが確認できよう【図13】。古代ローマ遺跡に憑りつかれたピラネージの廃墟趣味や、リスボン大地震が発生したのもゴシックやリヒテンベルク図形と同じ18世紀である。マニエリスム期同様に、この時代にひび割れは時代のオブセッションになった。
ここでゴシック詩「大烏」のポーから、独身者機械「大ガラス」のマルセル・デュシャンに一気に飛ぶ。現代アートにお詳しい方なら「大ガラス」が運送中に巨大なひび割れが入ってしまったことをご存じかもしれない【図14】。このひび割れに関して、デュシャンは美術館長ジェイムズ・ジョンソン・スウィーニーに以下のように語ったという。「見れば見るほど、ひびが好きになる。……まるでだれかの意図がはたらいているようだ――わたしではないだれかの、おもしろい意図がつけたされている。作品そのものの意図かな、わたしはこれを『レディメイド』の意図と呼びたい。わたしはこの意図を尊重します」。アクシデントを味方につけるアートとして、ひび割れが「第二の美」(四方田犬彦)として再解釈されたのが20世紀だとみてよいだろう。ちなみに「大ガラス」下部右のドラムが全自動洗濯機、下部左の九つの制服が洗濯されるもの、上部の毛虫が物干し棹ではためく洗濯物、ガラスのひび割れは水しぶきだ(!)と恐るべきアナロジーをしてみせた松田行正「ひび割れ線」(『線の冒険』所収)は必読である。
デュシャンがガラスのひび割れに発見した「第二の美」は、古い絵画に経年劣化で生じたひび割れであるクラクリュールにも確認される【図15】。クラクリュールを美しいとする感性からすれば、絵画の修復作業は偶像破壊者がこれまで歴史的に行ってきた暴力に比すべき「第二の暴力」(四方田犬彦)といってよい。人為的にクラクリュールを的確かつ精密に再現することはほぼ不可能だとされているが、天火で焼いて乾燥させる、画肌を擦るなどして自然発生のクラクリュールを再現することは昔から試みられてきたことではあるらしい。とはいえそれらの方法では画一的な文様になるため、クラクリュールの不規則な美は生み出し得なかったという。
しかしトニー・テトロという有名贋作師がホルムアルデヒドを使用し、特殊な工程を経ることで自然なクラクリュールを再現することに成功し、さまざまな名画の贋作を売りさばいた。ハン・ファン・メーヘレンもフェノール樹脂を塗って焼くことで同工異曲の贋作を量産した。亀卜に始まったひび割れのランダムネスは、もはや人工的にコピー可能な代物になった。詐欺師と贋作者をことほいだ種村季弘が大喜びしそうなマニエリスティックなスタイルがひび割れデザイン史にここで書き加えられた(ちなみにPhotoshopにもクラクリュールを再現するツールがあるらしい)。
ガラスのひび割れに話を戻そう。20世紀は自動車の世紀だといえる。ポール・ヴィリリオが『アクシデント』という本で書いているように、「発明と事故は表裏一体であり、ゆえに事故とは既成の発明である」。車の発明が、じつのところカークラッシュによるフロントガラスのひび割れを発明していたのだ。J・G・バラード『クラッシュ』の表紙にもそれは顕著であろう【図16】。アクシデントほど美しいものはない。とはいえ、21世紀になるとガラスのひび割れはさらなる倒錯美を生み出す。サイモン・バーガーというスイスのアーティストが、ハンマーでガラスに細かなヒビを入れることで人間の顔を描き出すアートを作成し、あまつさえ三次元作品さえつくりだしているのだ【図17】。ガラスのひび割れは超工学的アルスによって計算されるものとなり、その合成によってアルチンボルド効果的に人間の顔が浮かび上がるマニエリスムに到達した。
最後にサブカルチャー方面でのひび割れデザインを見てみよう。これはもう大友克洋『童夢』にとどめを刺す【図18】。大友のこのひび割れ手法はのちのバトル漫画全般に模倣されていき、ネットを覗くとこのひび割れ作成はすでにメソッド化されているようだ【図19】。もはやひび割れは完全にデザインとしてパターン化し、かつての不規則の美をことほぐデュシャンの感性からは程遠い。とはいえ、そう悲観することばかりではない。『ガールズ・バンド・クライ』というアニメで、ギタリストの桃香がバッキバキに割れたスマホをもっていて正直ちょっと惚れたが、このひび割れ画面のスマホの待ち受け画面を工夫することによって「事故を味方につける」(宇川直宏)アートが生み出され始めている【図20】。あるいは壁に入ったひび割れを「糸」に見立てて、そこにスパイダーマンを配置するグラフィティのストリート感覚も同工異曲だろう【図21】。
とはいえ、ひび割れを喜んでばかりもいられない。コロンビア出身のアーティストのドリス・サルセドは、「シボレス」(2007年)というインスタレーション作品で、テート・モダンのコンクリートの床にジグザグの巨大なひび割れを入れた【図22】。これは社会と人種差別による分断をあらわしたものだという。そもそもひび割れアートの鼻祖たるマニエリスムがローマ劫掠ならびに30年戦争の「分断の時代」を背景に始まったことが思い出されよう。ジェフリー・スマートが「地震」(1959年)と題されたひび割れ絵画を描いたのは、G・R・ホッケがマニエリスム論『迷宮としての世界』を上梓したのとわずか2年の誤差である【図23】。ひび割れはデザインを超えて、我々の時代精神の引き裂かれたフォルムなのである。
後藤護(ごとう・まもる)
1988年山形県生まれ。暗黒綺想家。魔誌『機関精神史』編集主幹。『黒人音楽史:奇想の宇宙』(中央公論新社、2022年)で第一回音楽本大賞「個人賞」を受賞。その他の著書に『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン、2019年)『悪魔のいる漫画史』(blueprint、2023年)。近刊予定に『博覧狂気の怪物誌』(晶文社、2025年予定)、『日本戦後黒眼鏡サブカルチャー史』(国書刊行会、2026年予定)。2024年4月よりNeWORLDで「綺想とエロスの漫画史」連載中。『映画秘宝』で書評コーナー「暗黒綺想ブックレビュー」を毎号担当。
X: @pantryboy
note: https://note.com/erring510/n/ne4e10e0500c9
公開:2024/11/06
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