ダイニッポン回顧とミライ

秀親と塚田哲也によるデザイナーユニット「大日本タイポ組合」は1993年の結成以来、30年以上にわたって文字をテーマにした作品制作やプロジェクトを展開してきた。その活動の基調となっているのは洒落や諧謔の精神にもとづく文字表象の解体と再構築である。90年代初頭の日本語インディーズフォントブーム、2000年代以降の日本語デジタル・タイポグラフィの発展といった時代の流れを受け止めつつも、新しいチャレンジを行ってきた彼らは、とくに近年では文字の根源にある「書」にも向き合い始めた。ユーモアと真剣さが表裏一体となったその姿勢は何に由来し、どこへ向かっているのか? メンバーの一人である塚田の個人史から探る。
バナー写真:秀親(右)と塚田哲也(左)。「大日本タイポ組合のインボウ」(2004年)会場にて
さて、GDRというクルマのような高級コンデジのような名前のウェブサイトに文章を書くことになった。内容は文字とことばとデザインに関する、ぼくの個人史的なこと。50代半ばのぼくの半世紀の繁盛記もしくは反省記といったところ。こうして文字を並べることでことばが成り立ち、文章ができあがっていく。それは不思議で面白いことだなぁと思いつつ、書く。
はじめてのデカルチャー
子どもの頃は、学校でひらがなを学び漢字を学び、だけどそれはとくに疑問も持たずごくごく自然に身についていったわけで、「なんでこんなかたちをしてるんだろう?」とかはまず思わなかった。「す」の字を左右逆に書いちゃう、なんてのが「子どもの字あるある」みたいに言われがちだけど、実際そう書いた記憶はない。思い出すのは、ノートの升目いっぱいにぴったりサイズで文字を書いてみたり、めちゃめちゃ扁平な字を書いて読めないと怒られたり。だけどそんなことは誰でもやるでしょう?
そんなごくふつうの小学生が、思わず「デカルチャー!」と叫んでしまったのは、ゼントラーディ文字をはじめて目の当たりにした時。ゼントラーディ文字とは、テレビアニメ「超時空要塞マクロス」に出てくる異星人で、地球人と容姿は似てるけど身長が約10mほどの巨人であるゼントラーディ人の言葉を表記する文字で、学校で学ぶ漢字やひらがなとはまったく違ったかたちをしていた。
じつはゼントラーディ文字のひとつひとつは地球のアルファベットに一対一で対応するから、解読するとローマ字に変換して読むことが可能になる。これが暗号みたいでめちゃめちゃ面白くて、つまり「A」という表記が別のかたちで表現されているのが不思議で興味深くて、小学5、6年生だったぼくは必死に勉強をした。つまりはじめての母国語以外の文字ということになる。
甲骨文字や楔形文字なんかに出会うより、だいぶ前の話で、異質な文字と接触したはじめての体験。ちなみに「デカルチャー!」とは、ゼントラーディ語で、異質な文化に出会って驚いたときに叫んでしまう言葉で「Oh My God!」みたいな感じ。

『3年奇面組』(新沢基栄)
アニメと同じく好きだったのはマンガで、「ドラえもん」はもちろん、少年ジャンプの「Dr.スランプ」「ストップ!ひばりくん」「キン肉マン」などは読みまくり、ジャンプもフラゲするなど熱心に読んでいた。なかでも鳥山明が大好きでかなり模写をしまくった(いまでも顔を描くときは、黒目のハイライトと、耳のかたちは鳥山明ふうに描く)し、サインや手書き文字も真似しまくった(ココでもじゃっかん『Dr.スランプ』の文字に触れてる)けど、いま考えてみると「3年奇面組」のキャラクター達にはまた違ったところで影響を受けてるのかと思う。
それはキャラクターの名前で、主人公の一堂零(いちどう・れい)や奇面組のメンバーの冷越豪(れいえつ・ごう)というふうに、登場人物が全員当て字でできていて、これはもうキラキラネームなんてものの遥か以前の出来事。なかでも大好きだったのは似蛭田 妖(にひるだ・よう)率いる不良集団「番組(ばんぐみ)」のメンバー、中須藤臣也(なかすどう・おみや)。この名前にはサイコーに痺れた。自然にありそうな「中須藤」という名字と、「臣也」という名前の組み合わせで「泣かすど、おみゃあ」になるという出来。

出典:https://www.s-manga.net/items/contents.html?jdcn=08851341851341315501
小学校の廊下に個人発行の新聞を貼るコーナーがあって、マンガの連載を持っていたんだけど、「戦闘メカ ザブングル」の主人公、ジロン・アモスにそっくりのキャラクターを描いて、当て字で「字論 悪燃」と名付けたのもその影響。(「自論」だとふつうでつまらないから「字論」にしたのだけど、まさか将来こうして「字論」を書くことになるなんて、小学生のぼくは思ってもみなかった)。
のちに「夜露死苦」「仏恥義理」「愛羅武勇」といったヤンキー言葉を知るようになるのだけど、この漢字の持つ意味とそれを組み合わせた言葉のマッチングというのに密かに何かを感じていたように思う。決してヤンキーにはならなかったけど、その文字面には大変な魅力があった。
『じょうずなワニのつかまえ方』(ダイアグラムグループ)
この本の初版が1986年だというから、おそらく高校の図書館で出会ったんだと思う。とにかく役に立ちそうな立たなそうな知識と、文章に対して古風で意味深なイラストと、すべての文章がどれも違う文字で縦横無尽に(本当にタテ組みヨコ組みが入り乱れて)組まれていて、端になんか分かんない名前が書かれたりしてる。とにかく全部がバラバラなんだけど、その組み合わせが面白い。
モンティ・パイソンを知るのはこの後なんだけど、テリー・ギリアムのコラージュアニメの絵面は完全にこの方向だったし、イギリス人の知的なおフザケ臭もプンプンしていたので、そういうのが好きだったんだなぁと思う。紙質も嵩高紙のザラザラした手触りで、この本はとにかく大好きで大好きで何回も読んだ。端っこに書かれてたなんか分かんない名前がじつは書体名だった、というのは、大学に入って、写植の書体というのを知ってから。


レタリングとネタキング
大学では1年生のときに必修で「和文レタリング」があり、そこで烏口とガラス棒を持って、墨汁にポスターカラーを混ぜたやつで明朝体やゴシック体を書いた。翌年には「英文レタリング」で、平筆みたいにヨコに引けは細い線、タテに引けば太い線が書けるカーペンターペンシルを使ってアルファベットを書くなどしたんだけど、そういうことは前半だけで、後半はアイデア出しのプレゼンテーションみたいな授業にシフトした気がする。
当時は広告ブームで、多摩美の先輩では大貫卓也さんが、としまえんとかラフォーレの広告とかでガンガンにイッていたときだったから、そういう面白い広告つくりたい! と思っていたぼくは、その授業でも、面白く、人にウケるようなものを作りたいと思ったし、実際にそういうものを作るようになっていった。
その流れで3年生のときにとった広告とかプレゼンテーションの授業は、ほとんど大喜利といった感じの授業で、出された「お題」に対して、どう向きあって、ウマいことみんなをギャフンと言わせるようなものを作るか、に夢中になっていった。そのクラスで(のちに大日本タイポ組合をいっしょにやる)秀親と出会ったので、そこで培った大喜利感覚、っていうのは、共にかなり沁み込んでいるんだと思う。

AD:大貫卓也、増田秀昭、CL:豊島園、1986年
大貫卓也(1958-)は従来広告の前提や枠組みをくつがえす発想で80年代末以降の広告業界をリードした。大貫については次のインタビューも参照。
「大貫卓也|NPO法人建築思考プラットホームPLAT|プラット」(https://npo-plat.org/onuki-takuya.html)
出典:「あのポスターや新聞広告を展示、アートディレクター大貫卓也と花森安治の展覧会」(https://www.advertimes.com/20240716/article467578/)
ところであの頃の多摩グラで文字界隈といえば、みんな篠原榮太先生のレタリングの授業をとってる前提で話が進むのだけど、何を隠そう(隠していない)ぼくひとりだけその授業をとっていないのだった。だいぶ先輩の鳥海修さんも、ちょっと先輩のうちきばがんたも、同級生の岡澤くん(ヨコカク)も、竹下直幸も、そして秀親も、みーんな篠原先生に教わってた。
なので卒業してから篠原先生とは親しくさせていただくことになるんだけど、ついには「おい、タイポ組合」と認識してくれたので、なんとかギリギリ掠らせてもらってる感じとはいえないだろうか。いえないか(この件について書いてから記憶を掘ったところ、ぼくはタイポグラフィじゃなくエディトリアルデザインの授業を選択していたっぽい。というか、そのどちらかしか選択できないのってちょっとしたバグじゃないですか?)。

出典:「typographics t」308号
(https://typographics.base.shop/items/91900638?from=widget)
『FUSE』から『フォント・パビリオン』
大学卒業後は、大広という広告代理店に入ってデザイナーとして日銭を稼ぎつつ、合間をぬって秀親と「大日本タイポ組合」として制作活動を行った。東京タイポディレクターズクラブ(現・東京TDC)の賞に応募して入選し、年鑑に載せてもらったのが94年と95年。同じ頃にHBギャラリー周辺の人たちが出した『ULTRA HEAVEN VOL.1』というブ厚い本にも1ページ載せてもらったりして、じょじょに世間の目に触れるようになっていった。
インターネット初期の95年くらいには個人のホームページも立ち上げて、そこの一部に大日本タイポ組合のコーナーも設けたら、桝山寛さんに声をかけられて、『NTT インターコミュニケーション’95「on the Web —ネットワークの中のミュージアム—」』の一部、《テレ・プレゼントとサンクスウェア》に出品。ここではじめて自作フォントのデータを配布する、ということを行った。この頃はフォント制作ソフトはFontgrapher一択で、基本的にはアルファベットや数字にしか対応しておらず、日本語フォントは「かな」のグリフを英数字キーに割りあてて打つ、みたいなややこしさだった。この文脈をふまえて作ったのが「kurofune」というフォントだ。

アルファベットをキーボードで入力すると、その読みのカタカナ表記を構成要素とする漢字が表示される。図は入力するアルファベット(上)と実際のグリフ(下)が対応している
この頃はいわゆるフォントブームでもあり、『フォント・パビリオン』なんかにも参加したり、『GASBOOK』にもフォントやそれを使ったモーショングラフィックを収録したりなどした。いずれにしても、使えるフォントというよりも、「フォント」というメディアでどういうことができるか? というのを模索しつつ毎回作っていった。
やっぱり影響を受けたのはネヴィル・ブロディがはじめた『FUSE』で、こんなことができるんだ、とめちゃめちゃ興奮した(いちばん好きだったのはフィル・ベインズの「F Can You (and do you want to) Read Me? 」だ)し、松本弦人さんが『M.O.P』に収録してたのか、フロッケのやつだったか、シンボルマークが打てる(AがAdobe、BがBentz、みたいな)フォントも、押すキーと、出てくるフォントの対応関係、という点では目から鱗だった。というか、小学生のころ出会ったゼントラーディ文字と繋がるところもあるのかもしれない、といま思った。

出典:「FONTPAVILION 07」所収『Font Pavillion Font Finder』

出典:FF You Can Read Me Std Regular Font | Webfont & Desktop | MyFonts (https://www.myfonts.com/products/you-can-read-me-ff-you-can-read-me-367287)
大日本タイポ組合のインボウ
多摩美の卒業制作の学外展のポスターを作ったときに「タマビ」のカタカナを組み合わせたら「祭」に見えた、というのがきっかけで生まれたのが大日本タイポ組合だったから、やはり最初期に作っていたのは「漢字の一部からできたカタカナを、ふたたび寄せ集めたら漢字っぽいものになるだろう」という段取りで作った、いわば偽漢字のようなもの。まず最初に目に入る「漢字」のように見える文字と、その中身を構成する「カタカナ」が、互いに同じ意味をあらわしたり、あるいは正反対だったり、あるいはそのギャップが絶妙だったり、という、その「ふたつの意味の関係性」にめちゃくちゃ面白さを感じて、秀親とふたりでニヤニヤしたものだった。

D:大日本タイポ組合、1993年
そのコンセプトの最たるものが「大日本タイポ組合のインボウ」というタイトルで行った展覧会(2004年)で、来場者にヒアリングをして、その人となりをうかがったうえで、その人をあらわす漢字一文字、にパッと見えるんだけど、じつはそれを構成するカタカナは、その人の名前になってる。というものをデザインし、後日印鑑としてお届けする、というやつ。いわばその人だけのオリジナルのロゴをデザインするので作られる側にとっては大変にありがたいけど、作る側にしてみれば汎用性のない、じつに大変に非効率な作業だった。


文字のカタチと、意味と、漢字と、カタカナと、それらをまさに分解して再構築して、ってのを一日に何人も、それを数日やったので脳味噌はパンパン、かつシワシワで密度も高まり、展示会場と自宅の間を行き来するときに見る景色もすべて文字の要素に見えて、寝てるときも瞼の裏では文字のゲシュタルトの崩壊と合体が繰り返されるほどの状態だった。だけど、この「文字と言葉」「カタチと意味」みたいなものの両方を跨ぐデザインをする行為は、たまらなく面白い出来事で、いま思い出してもむちゃくちゃ興奮する。


『文字の現在 書の現在』(石川九楊)
もともと、「文字についてよく知らないひとが作った新しい解釈の文字」みたいなものを作っていた大日本タイポ組合はしかし、時が経つにつれて知識も増えていって、祖父江慎さんに言われた「大日本タイポ組合はこのまま何も知らないでいてほしい」という希望も叶わなくなっていった。若く元気ある連中に背後を脅かされ、前方には高く聳え立つ先輩方々。そんな狭間で身動きが取れないまま、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催してた浅葉克己さんの「七つの顔のアサバ展」(2005年)オープニングに行って、浅葉さんに、「ぼくらは今後どうしていったらいいですかねぇ」と相談したら一発「書をやれ」と。
書といっても誰にどう習ったらいいか分からない、と言うと「石川九楊だ」「でもどうしたらいいんですか」「うしろにいるよ」「えっ」。振り向くとそこにいたのが石川九楊。すかさず「書を教えていただきたいのですが」と伝えるも、まずはお手紙を書いて出してください、とのお返事。次の日には手紙をしたため、投函したけど半年近く返事はなし。なんかのタイミングで浅葉さんに訊ねたら、「なんか入門させるみたいよ」とのことで、神保町にあったギャラリー白い点での個展に伺い、いわば面接のようなことを経て、石川九楊書塾に入門したのだった。

東アジアの文字は縦書きによって成立する。石川先生は縦に書け、と言っていたから、当然それを忠実に学びながらも、「だけど現代はほとんど横書きじゃんか」と思い、横に書いた文字のかたちを夢想して、「横書き仮名」というのを開発した。これは大日本タイポ組合的なちょっと面白路線じゃなくて、いちおう真面目に歴史をふまえつつ、文字の可能性を探ったものだったので、あらたに「新日本タイポ研究会」という組織を立ち上げ(メンバーはヨコカクの岡澤くん、秀親)、勉強会と文字のかたちを探るワークショップを行って、その成果を香港で開催されたアジアで最初のATypI(世界タイポグラフィ会議)で発表した。

この「横書き仮名」はATypI香港で世界じゅうの書体デザイン関係者に向けて英語でプレゼンテーション(といってもあらかじめ翻訳していた原稿を読み上げただけ)をしたのだけど、持ち時間の20分よりすこし早めに終わってしまったので、予定にはない質疑応答タイムが突如設けられた。そこでアドビの山本太郎さんが英語で「このプロジェクトは大変に興味深いけど、これをどう実用に結びつけていくのか」みたいな質問をしてきたので即答で「It’s up to you!」と答えたら会場大ウケ、その日イチのスタンディングオベーションを受けたのだった。その勢いで東京TDCにエントリーし、結果、TDC賞を受賞(「新世界タイポ研究会」としての受賞。ちなみに「大日本タイポ組合」は無冠)。

「横書き仮名」をモチーフとしたグラフィック作品
石川先生の書の稽古は毎月1回、休まず出席していたけど、ATypI会議に参加するためにはじめて休んだ。「海外での学会に出張で」とかなんとか言って。じつは「横書き」の文字を作ってることは石川先生には内緒だった。受賞したからにはもうバレてもいいだろうということで「横書きの仮名を作ったんですよ……」と先生に伝えると、先生はその文字のかたちを見て嬉しそうに微笑んで「ぼくの書いた『文字の現在 書の現在』という本を見てみて」と仰ったのである。
はたしてその本を開いてみると、「ひらがなを横に書いたらかたちはこうなる」「アルファベットを縦に書いたらかたちはこうなる」というようなことがすでに書かれていた。ぼくらはお釈迦様の手のひらでもがいてる孫悟空のようだった。ぐぬぬ。

『文字渦』(円城塔)
雑誌「新潮」で円城塔の小説『文字渦』がはじまったときには、やられたーと思った。type.centerというウェブサイトを運営していたときに、「文字に関する小説」を青空文庫からごっそり探してきて、「文字文学」(「文字」という字と「文学」という字のかたちが似てるから、という単純な理由がまずあって、ここから「文学フリマ」ならぬ「文字フリマ(現:文ッ字フリマ)」を開催するきっかけにもなった)というタイトルで一冊にまとめたアンソロジー本を作ったことがあった。
その中にとうぜん中島敦の『文字禍』を掲載し、なんなら「文字文学」の中核を成す作品でもあったから、そこを擦ってきたか! という気持ちが(一方的に)あったし、文字の「ありえたかもしれない世界線」は、「横書き仮名」でも実践しているので、それをSFで仕立ててきたのには興奮した。
もちろん毎回しっかり読んだし、これは会ってお話したい! と強く思って、type.centerで円城塔さんにインタビューしに大阪にまで出向いた(そのインタビューの取って出し状態から文が推敲されていくようすはすべてgithubにアップされてる)。

直筆文字造形作品:荒井美波、直筆文字:円城塔、写真:筒口直弘(新潮社写真部)、デザイン:新潮社装幀室
そのインタビューの中で円城さんは、白川静の漢字論などの説において、大昔の真実は誰にも分からないわけで、そこにはファンタジーなところもあるだろうから、自分でも既存の漢字をもとに全然違うファンタジーを展開しようとした、と言ってる。同様に近作の『コード・ブッダ』は仏教を元ネタにし『去年、本能寺で』は歴史を元ネタにし、ファンタジーを大展開しまくっている。研究論文ではなくてSFなので大ボラ吹いてもオッケー、というところで、妄想ほど楽しいものはないなぁと思う。
「横書き仮名」だってそういうファンタジーだし、もともと大日本タイポ組合だって「ありそうだけどなさそうな文字」みたいなものを作って楽しんでる。これもある種のファンタジーだ。正直、既存の文字だけじゃ物足りないと思うところもあるし。ぼくは「温故知新」という言葉が好きなんです。あまりにもベタすぎるのでめったに言わないけど。だからこれまでの歴史をきちんと学んだうえで、新しいアイデアを作りあげたほうが、説得力が増すのは間違いない。
とか書いているいまはディープフェイクみたいな真実を上書きする「嘘」が蔓延しているわけだけど、2024年度京都精華大学の卒業制作を指導したとき、生成AIの発展する時代だからこそ人間ならではの「書」を書きたいという学生がいたので、「人工知能」に対抗してその対義語の「天然バカ」で行け、と伝えたことがある。
生成AIのおぼつかなさを喜んでいた時期はとっくに過ぎたけど、文字の生成に関してはいまだ不気味の谷を越えられず、いまいちノれない。「温故知新」でいうと、生成AIは「温故」のまとめはできるけど「知新」のところがイマイチという感じ。文字は、たんにそのカタチだけでもなく、言葉とか、意味とかと密接に絡みあっているから、それらをバカなりにあじわう、すなわち「遊び」ながら書くことができる、ということが、(いまのところ)人間らしさなんじゃないかと思っている。
『GENJI55 石川九楊源氏物語書巻五十五帖』(石川九楊)
ところで筆を持って文字を書くということは、21世紀の世の中でははっきりいって古くさい。それでもどうして書を学んでいるんだろう。しかも20年も続けている。ふつうの書道教室だったら、伝統的?な書道に終始して、ただの趣味的な行為として終わってしまうだろう。でも、石川九楊から書を学ぶことの面白さは、過去をふまえつつ「いま書く理由」を常に探していることだと思う。もちろん、これまでの歴史を背負っている文字のかたちの変遷を学んで、だけど。
いま、そして未来は、文字は、そして文字によって書かれる言葉は、どうなっていくのだろう、ということを知りたいし、探りたい。これぞ温故知新。ちなみにぼくも、書をする時には雅号(ペンネームみたいなもの)を持ってる。九楊先生から「楊」の字を一字いただいて、「楊大歩(ようたいぽ)」。名は体を表すというやつで、ぼくの立ち位置を的確にあらわしていると思ってとても気に入っている。
さて、石川九楊は源氏物語の五十四帖に、題名だけが存在する「雲隠」を加えた五十五帖を書作品にした連作『源氏物語書巻五十五帖』(「絵巻」ではなく「書巻」)を2008年に発表し、その作品集を当時発行したのだけど、絶版となったのでリニューアルしたいということで、ぼくは、嵩の高い新聞紙のような紙に刷って、ホッチキスでサクっと綴じた週刊誌みたいな仕様を提案したら、その気軽さが気に入ってもらえて、実際にデザインして販売することになった。このかろやかさも石川九楊の面白いところだと思う(石川先生は会社員時代に広報宣伝部にいてPR誌などの企画編集もしていたし、じっさい書籍の装丁などもしていたからデザインや印刷にも詳しいのである)。なんというか、非常におこがましいんだけども、バイブスが合うんだよな。

出典:石川九楊「GENJI55 源氏物語書巻五十五帖」 ■ 文字文明研究所(https://moji-bunmei.asia/genji55/)
石川九楊の大きな展覧会は上野の森美術館で「書だ! 石川九楊展」(2017)と「石川九楊大全」(2024年)とあって、とくに「大全」展のほうはガッツリと関わった。いつの時代の作品も、見るとところどころ自分の「書く」という行為に対してのヒントが隠れていて見ていて飽きない、という「観る側としての自分」と、これらの作品をどう並べて見せるのがいちばん良いか? といった「見せる側としての自分」を切り替えながら展覧会には携わった。
それともうひとつ、その展覧会には石川九楊の『歎異抄No.18』という作品から「音を取り出」して弦楽四重奏を行う、という企画もあった。これは話すと長くなるのでこのへんを読んでもらうとして、書かれた文字を計測・解析してデータに変換する、みたいな行為は嫌いじゃなくむしろ好きだし、何が起こるか分からないワクワク感が楽しい。この音楽会の実現は、スコット・アレンと堤本禮太さんがプログラミング周辺で一所懸命動いてくれたからできたんだけど、このデータ化作業は20世紀には相当な手間がかかったはずで、いまだからこそ実現できたものだったし、そういった意味ではやはり、時代とともにある「書」になったと思う。

出典:「石川九楊大全」展(https://ishikawakyuyoh-taizen.com/)
文字と、言葉と、デザインと
こんなふうに、文字(書)をきっかけにして、時代とどう接していくか、というのを探るのがやはり楽しいし、それを書で示している石川九楊を間近で見られるのは眼福であり貴重な体験。とはいえ、傍観者としてそれに甘んじるわけにもいかず、今後どう引き継いでいこうか、というところで、じつは2024年の夏に、石川九楊を理事長とする一般財団法人文字文明研究所を設立し、なんとぼくも理事になった。これからは石川九楊の説く「筆蝕」、すなわち「書く」ことで生じる様々な出来事を深めていくために、自分でも何かをしでかそうと企んでいるところ。その際は、これを読んでる方も是非参加してくださいね。
いっぽう大日本タイポ組合は結成30年を越えた。結成当初は「タイポ(グラフィ)」という名前に縛られて、やることが制限されちゃうんじゃないかと心配されたりもしたけど、なんのことはない、ぜんぶ文字を使ったデザインで乗り越えてきて、時代とともにその領域も広がってきてるのが正直なところ。作字ブームもあいまって、ぼくらが初期にやっていた読めるような読めないような「文字」的なものは今ではたくさん見かけるようにもなったし、文字にまつわるオリジナルグッズを販売するイベントとして立ち上げた「文ッ字フリマ」も年々その規模が大きくなってきた。


文字デザインの裾野が拡がってきたことで、ずいぶんと居心地は良くなった。だけど当然ながら満足はしていないというか、居心が地良いのもあんまり慣れていないというか。この感じは活動初期からずっと「永遠の若手」といわれ、最近では「永遠の中堅」とまでいわれるゆえん、かもしれない。
……とまぁ、なんだかんだいって、ずいぶん長い間、文字についてあれこれ考えてきたことになる。文字は、読めるがゆえにそこに意味が含まれるし、見えるがゆえにそこに形が生じるし、じつに面白いシロモノだ。文字と、言葉と、もちろんデザインと、その三つをうまく絡めながら、いまを、そして未来を夢想する。いつだって文字に対して「デカルチャー!」と叫びたいし、むしろ叫ばれるようなものを作りたい欲望しかない。
塚田哲也(つかだ・てつや)
1993年に秀親と大日本タイポ組合を結成。文字を解体し、組み合せ、再構築することによって、新しい文字の概念を探る実験的タイポグラフィ集団として、グラフィックデザインを軸に活動、「文ッ字フリマ」などのイベントやワークショップ、展覧会企画も行なう。著書に『もじかけえほん かな?』、『え? A!』(ともに偕成社)、『もじくらべ/もじかたち』(市谷の杜 本と活字館)。また書家・石川九楊書に師事し、京都精華大学、東京大学で書字の講師を務める。2024年「石川九楊大全」展や関連企画「歎異抄No.18」音楽化プロジェクト進行を担う。一般財団法人文字文明研究所理事。
公開:2026/03/25
89「よさ」の峰に登る
/橋本 麦
88DESIGNEAST Revisited/水野大二郎
87カレル・マルテンス展をめぐって/文・写真 有本怜生
86むき出しの力/米山菜津子
85量子チップビットマップ:実数のグリッドから複素数のクラウドへ/久保田晃弘
84学会誌を立ち読む:デザイン関連論文の世界/室賀清徳
83ワールドワイドウェブのこと/永原康史
82小特集:ボードメンバー・ブックレヴュー Vol. 3
/米山菜津子/永原康史/鈴木哲生/室賀清徳
81在オランダアジア人デザイナー座談会 /樋口歩
80数学と計算機と美学/巴山竜来
79ポストデジタル・レタリング考/鈴木哲生
78ひび割れのデザイン史/後藤護
77リリックビデオに眠る記憶の連続性/大橋史
76青い線に込められた声を読み解く/清水淳子
75日本語の文字/赤崎正一
74個人的雑誌史:90年代から現在/米山菜津子
73グラフィックデザインとオンライン・アーカイブ/The Graphic Design Review編集部
72小特集:ボードメンバー・ブックレヴュー Vol. 2/永原康史/樋口歩/高木毬子/後藤哲也/室賀清徳
71モーショングラフィックス文化とTVアニメのクレジットシーケンス/大橋史
70エフェメラ、‘平凡’なグラフィックの研究に生涯をかけて/高木毬子