ハンス・グレメン『American Origami』
ハンス・グレメンはオランダ・アムステルダムを拠点とし、独立系出版社Fw:Booksを主宰するデザイナーだ。彼のブックデザインは、得てして「実験的」と評される。規格外の印刷・製本方法を積極的に取り入れるからだ。実際の本を手にしたことがある人は、その「モノとしての本」の説得力を知っているだろう。
Fw:Books以外の本も多く手がけるハンスは、新型コロナウイルス感染症の影響でリモートワークが提唱されるずっと前から、数々の国外のアーティストや出版社と遠隔で仕事をしている。ほぼオンラインのみのコミュニケーションで、本の物質性を生かしたデザインを提案し、クライアントを納得させてきたのだ。ここでは、アメリカをベースとする写真家のアンドレス・ゴンザレスの写真集『American Origami』を例に、リモートでの本作りについて彼に話を聞いた。
『American Origami』は、1999年に起きたコロンバイン高校銃乱射事件をはじめとする、アメリカの学校で起きた数々の銃乱射事件をテーマにしたプロジェクトだ。アンドレスが撮影してきた写真は大きく分けて二つ。「Artefacts(被害者の遺留品や友人からの手紙)」と「Cityscapes(事件が起こった場所の風景写真)」だ。ここにインタビューなどのテキスト情報を加えて一冊の本にしようというのが、ハンスに来た依頼だ。
最初のデザインをプレゼンする際、ハンスはメールに3分半ほどの動画を添付した。自身で喋りながら携帯で撮った粗い動画だが、この本の核となるアイデアを明確に示している。
アンドレス、元気かい? 僕がどういうことをやりたいか/やってみたか、短い動画で説明しようと思う。これが一番最初のレイアウト。「Artefacts」の部分から始めたんだけど……すごくパワフルで写真の数も多い。これだけで160ページくらいにはなってしまうと思うんだ。 つまり本の大部分を占めることになる。「Artefacts」は量があることが重要だから減らしたくないし。——そこで、こういう本の綴じ方はどうかなと考えたんだ。——現状のデザインを束見本に切り貼りしてみたのはこんな感じ。「Artefacts」が内側のページにレイアウトされてる。「Cityscapes」やインタビューのような事件の「余波」の部分は、外側のページに配置して……(全体として)資料の詰まったフォルダみたいなものを想像してほしい。こうすることで、この本の情報量の多さや情報のレイヤーを処理することができる。いい解決法だと思うんだ。——そんなところかな。じゃあまた!
「オンライン会議や電話より、メールでのコミュニケーションの方が絶対にいい」というのがハンスの持論だ。コミュニケーションの痕跡が記録され、万が一話がこじれたときに、どの段階で誰が何を言ったか、履歴を遡ることが簡単だからだ。この記事でプロセスを克明に記すことができるのもそのおかげである。
その一方で、アーティストがデザイナーがいないところでデザインを第三者に見せ始めてしまうと、話が厄介になることもある。「それまで何の問題もなかったのに、”昨晩表紙を妻に見せたんだけど、黄色は好きじゃないって言うんだ。悪いけど色を変えてもらえないかな?”なんてことになる。面と向かっての対話なら、その場で説得することができる。議論が起こっているときに同じ部屋にいないというのはリスクだ。」
ハンスがオンライン会議を避ける理由はもう一つある。「SkypeやZoomのようなシステムは、お互い顔を見て話すことを目的に作られているから、カメラが目に対して水平方向についている。これが本には向かない。誰かに本のデザインを説明するときって、机の向こう側に相手がいて、机の上に束見本があって、ページをめくりながら話すだろう? 正面と斜め下、二つの角度の視線が同時に必要なんだ。本を無理やり水平方向のカメラで見せようとしたら、立てて持ったままページをめくらなきゃいけない。普段本をそんなふうに扱うことなんて絶対ないのに。『American Origami』なんか顕著な例で、これをSkypeで広げて見せようとしたら、きちんと持つことすらままならない。プレゼンとしてまったく逆効果なんだ。」
実際、ビデオをメールに添付したプレゼンは成功し、数日後アンドレスから届いたメールはこう始まっている。「The design is brilliant man, I am blown away. (素晴らしいデザインじゃないか!びっくりしたよ。)」
こうしてアンドレスとハンスはリモートでの編集作業へと移行した。一見複雑に見えるこの本だが、外側のページ(「Cityscapes」)と内側のページ(「Artefacts」)の2冊の本が合体したと考えると単純な構造だ。二人は要所で外側と内側のページ内容がリンクする「アンカーポイント」となる見開きを作り、それ以外は流れに任せてシークエンスを作っていった。このようなシステマティックな編集方針が功を奏し、数回のPDFのやりとりだけでまとめ上げることができたという。
この製本方法で行くと決まった時点で、ハンスは印刷・製本全ての工程をオランダで行うことを提案した。「印刷や製本における良し悪しの判断は主観的な問題になりうるから、トラブルが簡単に起こる。新しいことにチャレンジするときはとくに。普段から一緒に本を作っているチームなら、共通言語が出来上がっているから間違いが起きにくい。」
この本の制作全般は、長年の相棒である印刷コーディネーターのヨス・モレーが監督した。日本では聞きなじみのない職業かもしれないが、オランダには彼のように特定の印刷所に所属しないフリーランスの印刷コーディネーターが存在し、本のデザインに合わせて最適な印刷所や製本所を手配してくれ、必要であれば各工程の現場に立会いトラブルにも対応してくれる。デザイナーの心強い味方だ。
しかし、プロジェクトによってはデザイナーの一存で印刷所を決められないこともある。「初めての印刷所と立会いなしで仕事しなくてはいけない時には、考え方を変えるようにしている」とハンスは言う。「実験的なことを諦めるんじゃなく、いつもと違う条件で何ができるのかを考える。ちょっとした工夫を凝らすことはいつだって可能だから。」
仕事場をシェアする同僚の一人として、時にアシスタントとして、筆者はハンスの本作りのプロセスをこれまでたくさん目撃してきた。自分のデザインを理路整然と言語化できる彼のようなデザイナーは、そもそもリモートワーク向きなのかもしれないと思う。しかし興味深いのは、そのハンスでさえもアーティストが隣に座って一緒に編集作業しないと作れない本があると語っていることなのだが……それはまた別の機会に話すこととしよう。
樋口歩(ひぐち・あゆみ)
グラフィックデザイナー。オランダ・アムステルダム在住。ヘリット・リートフェルト・アカデミー卒業。2013年からロジャー・ウィレムス(Roma Publications)とハンス・グレメン(Fw:Books)と仕事場をシェアしている。
公開:2020/06/10
- 75
日本語の文字/赤崎正一
- 74
個人的雑誌史:90年代から現在/米山菜津子
- 73
グラフィックデザインとオンライン・アーカイブ/The Graphic Design Review編集部
- 72
小特集:ボードメンバー・ブックレヴュー Vol. 2/永原康史/樋口歩/高木毬子/後藤哲也/室賀清徳
- 71
モーショングラフィックス文化とTVアニメのクレジットシーケンス/大橋史
- 70
エフェメラ、‘平凡’なグラフィックの研究に生涯をかけて/高木毬子
- 69
作り続けるための仕組みづくり/石川将也
- 68
広告クリエイティブの現在地/刀田聡子
- 67
音楽の空間と色彩/赤崎正一
- 66
トークイベント 奥村靫正×佐藤直樹:境界としてのグラフィックデザイン/出演:奥村靫正、佐藤直樹 進行:室賀清徳
- 65
『Revue Faire』:言行一致のグラフィックデザイン誌/樋口歩
- 64
小特集:ボードメンバー・ブックレヴュー
/樋口歩/永原康史/高木毬子/後藤哲也/室賀清徳 - 63
表現の民主化と流動性/庄野祐輔
- 62
コマ撮り/グラフィックデザイン/時間についての私的考察/岡崎智弘
- 61
画像生成AIはデザイン、イラストレーションになにをもたらすのか?/塚田優
- 60
書体は作者の罪を背負うか/大曲都市
- 59
図地反転的映像体験/松田行正
- 58
私の仕事道具/石川将也/小玉千陽/柿本萌/東泉一郎/三澤遥/加瀬透/脇田あすか/佐々木俊/正田冴佳/菊竹雪/田中良治/増永明子/味岡伸太郎
- 57
出来事としての「詩」と「デザイン」
/間奈美子 - 56
「問い」を抱えながらデザインを“使う”/阿部航太