The Graphic Design Review

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ワールドワイドウェブのこと

ワールドワイドウェブのこと

バナー画像:Symbol for Internet, Public Domain

デジタルネイティブといわれる若い世代が社会の動きの中心を担うようになって久しい。しかし、この世代の多くにとって、インターネットは提供されるサービスやアプリを通じてユーザーとして関わるものでしかなかった。コロナ禍によって突如訪れたリモート環境のなか、著者は授業の一環として、インターネットやウェブが立ち上がる根本にあった理念について学生に問いかける。

2019年12月、新型コロナウイルスのニュースが出るやいなや世界的感染爆発(パンデミック)の可能性が話題にのぼり、翌1月18日に屋台船の新年会で日本最初のクラスターが発生した。23日には新型ウイルスの発生源とみられた中国・武漢が封鎖され、同日、内閣は「新型コロナウイルスに関連した感染症対策に関する対応について」というポータルサイトを開設した。WHOが「国際的な緊急事態」を宣言したのが30日。2月11日には新型コロナウイルス感染症の正式名称「COVID-19」が発表され、雪崩を打つようにして世界中の都市が封鎖に向かった。日本では外出や集会の自粛が求められた。

 

2020年、私は大学に勤めていたが、3月の卒業式は中止になった。もちろん卒業制作展もなかった。人が集まることはもちろん、人と人は一定の距離以上に近づいてはならなかった。酒宴や会食はもってのほかで、話すことすら禁じられた。こう書くと安手のSF小説のようだが、事実である。大学は閉鎖され、学生は学校に来ることを禁じられた。授業はすべてオンラインに切り替えられ、教員たちはまるでユーチューバーのように授業を配信した。会議もすべてオンラインになり、それまではまだ「テレビ会議」というレベルの認識だったものが、一気に「オンライン会議」という言葉になって定着した。

 

私が所属していたのは美術大学で、実技を教える必要があった。制作場所や機材はすべて学校にある。さて、どうしたものか、と考えたが、幸い(?)情報デザイン学科だったので、オンライン演習上等! という意気込みもあった。春休みのことはあまり覚えていないが、混迷を極めたことはたしかだ。4月に新学期が始まっても学校に学生はいなかった。もちろん教員もいなかった。私は情報デザイン学科でもメディアデザインという領域を受け持っており、みっともない授業はできないなと思っていた。

 

3年次から専門課程に入るその最初の演習授業に、わたしたちは「Tele-Touch」という造語をつくってテーマに据え、遠隔でふれあうことをデザインするプロジェクトを組み立てた。もちろん授業も制作もすべてオンラインで行なう。順調だったと思う。学生のほとんどは、生まれたときからインターネットがある人たちだ。たしかGoogle設立が1998年だから、現役生はその翌年に生まれている。何の問題もない。はずだった。

 

美術大学には講評会(関西では合評会)というシステムがあり、学生がつくった作品に対し教員が意見を述べる。学生はそのために作品を展示してプレゼンテーションする。しかし、今回はその場をインターネット上につくらなければならない。それを見越して作品はすべてオンラインで閲覧できることを要件としていたのだが、ひとつ見落としていた。インターネット上に発表するということは、世界中から観ることができるということだ。もちろん、アクセスを制限してクローズドのサイトをつくることもできる。どうしようか。学生とも議論した結果、公開しようということになった。

 

決まってから、はたと気がついた。彼/彼女らはSNS世代だ。提供されているさまざまなサービスを使いこなす一方、ドメインを取得し、ftpでサーバーにファイルをアップして──というような手順を全く知らない。SNSに投稿すれば即公開されると思っている。サービスの殻から出たことがない。わたしたち情報デザイン学科では、学科サーバー上に学生全員の個人ディレクトリを割り当てており、そこから外に向けて発信できるシステムを作っている。開科当時は必要な装備だったが、もう誰も利用しなくなっていた。つまり自らの責任で情報発信した経験がない。すでに「ホームページ」という言葉も死語になっていた。「ウェブ」は日常的に使っても「ワールドワイドウェブ(WWW)」という言葉は知らない。もちろん「web」が「蜘蛛の巣」の意味だとは微塵も思っていない。

 

システム管理者にサブドメインを作ってもらって、URLを決めて、公開の手順や仕組みを説明した。呑みこみは早い。インターフェイスは器用につくる。それなりに格好はついた。でも何か話し足りていない。インターネットで情報を発信することは、情報を共有するということで、それはどういう意味を持つのか……。なんとか公開前に話しておきたいと思って文章を書いた。教室に集まることができないので、それをアップして読んでもらおうと考えたのだ。

 

いまさらだが、2020年のそのテキストを公開しようと思う。説明がないとよくわからないだろうと前説を書き始めたが、ここまでに1700字も費やしてしまった。もう少し書くことはあるが、後にまわそう。まずは読んでみてください。

インターネットで公開するということ

 

ぎりぎりになりましたが、昨日、4年生の卒制前期審査会が終わり、ようやくこれを書く時間ができました(審査会は一日目ハイブリッド、二日目オンラインでした)。

 

ずっと、インターネットで公開するということについてお話ししておきたいと思っていました。でも気がついたら、サイトの公開まであと2日になっていました。明日には仮アップです。遅くなってしまいましたが、お話ししようと思います。ちょっと長いですが、がんばって書くので、最後まで読んでください。

では、はじめます。

 

インターネットは、1993年に日本での商用利用が認められました。みなさんが生まれるずいぶん前、ぼくが38歳になる年です。インターネットを東大まで「見に」行ったことは、前にお話ししましたよね。ウェブデザインの仕事は94年から始めたので、日本最初のウェブデザイナーの一群の一人に入ると思います。

 

当時は、サーバーサイドのエンジニアとプランナー(編集者)、グラフィックデザイナーが主なプレイヤーでした(テレビ局の参入も早かったですね。引くのも早かったけど)。フロントエンドのエンジニアはまだいなかったので、コードや簡単なプログラムは全部自分で書きました。それほどウェブの表現技術が発達していなかったからできたのですが、すぐに(95〜6年かな?)コーディングやスクリプティングのプロフェッショナルが現われました。

 

インターネットはもともと軍用の技術ですが、WWW(Wold Wide Web =ウェブ)は、インターネット上で世界中の誰でもが HTML(Hyper Text Markup Language)によって繋がることのできる、とても大きなコミュニティ(正確には情報コミュニティ)として構想されました。それはすぐにパーソナルコンピュータの思想と繋がり、ぼくたちはウェブにユートピアな未来を観ていました。

 

Macintoshコンピュータができたとき(1984年かな?)Stand Alone(一人で)」という言葉がキャッチコピーに使われた広告を見たことがあります。つまり、ほとんどのコンピュータが大型のマザーコンピュータの端末であった時代に、マザーコンピュータに繋がっていない「個人」のコンピュータとして売り出されたのです。それは、何にも属さない自由な個人のための道具だという表明でもありました。

しかし、「Alone」には「ひとりぼっち」という意味もあります。その自由ゆえに孤独な個人を繋ぐのがWWW(ウェブ)だったのです。

 

この文章のタイトルは、正確には「ワールド・ワイド・ウェブで公開するということ」になります。

 

インターネットは、軍用ネットと商用ネットの間に学術ネット、つまり研究所や大学間を結ぶネットワークとして機能していた時期があります(機能というより実用に向けての実験ですが)。まだテキストしかやりとりできなかった時代に、論文の公開などが盛んに行なわれました。そのときにハイパーテキストの概念が大きな影響を与えます。

 

ご存じと思いますが、どの論文にも先行論文から引用した部分があります。引用しなくても参照している箇所はかなり多い。良い論文かどうかは、その参照された数で決まります。関連する研究をしている人たちの参考になったものほど価値があるという考え方です。

 

ウェブの基幹技術である HTMLの「HT=ハイパーテキスト」とは、リンクが張られたテキストのことで、言葉をマークアップする(タグをつける)ことでウェブ上にあるほかの言葉にリンクを張ることができます。つまり、論文における参照を体現した技術だったんです。古くは相互リファレンスとして百科事典から生まれた編集技術です。つまり「知」の集積をどう繋いでいくかということですね。

 

URLの最初に書く「http://」は「Hyper Text Transfer Protocol」の略で、ハイパーテキストを転送する(読み込む)手法を用いるという意味です。つまり、ウェブは相互に参照可能なように作られています。そこで私たちは互いに参照し合い、さまざまに協働して、新しい社会環境を作っていけるはずでした。

 

「はずでした」というのは、「そうはならなかった」ということですが、それは違う機会に話します。

 

SNSに投稿することを「シェア(share)する」といいますが、まさにウェブに何かをアップするということは、ハイパーテキスト技術によってシェアし合うことを意味します。shareはもともと「分担」とか「取り分」という意味ですが、転じて「参加する」「共有する」という意味にも使われます。

 

長い前説になりましたが、ウェブで公開するということは、公開したものをウェブで共有することで、ウェブが作る社会に参加するということにほかなりません。

 

では、その共有されたものをどうするのか。
それはフェアユース(fair use=公正に利用する)という考え方で示されます。フェアユースはアメリカで生まれた考え方で、「公正利用においては著作権が制限される(自由に使える)」という考え方です。アメリカでは法的にも認められています。具体的にはここにありますので参照してください。

 

ウェブでは、この「シェアとフェアユースの考え方」でさまざまなものが生まれてきました。

YouTubeが一番わかりやすい例かな? YouTubeが出てきたときは本当に驚きました。あらゆる映像がシェアされているのです。もちろんそれはフェアユースされることが前提でした。

 

Googleもそうです。Googleのサービスは全部無料で提供されます。Googleはそこで得たデータ(私たちがウェブにシェアしたデータ)をマイニングしてフェアユースすることで利益を上げ、次のサービスや社会貢献を作って、またシェアしていきます。

 

サブスクリプションも基本的にはシェアとフェアユースの考え方でできています。たとえばミュージシャンは楽曲を「提供」し、リスナーは定額を支払ってたくさんの音楽を「共有」します(この場合、聴いて楽しむということですね)。ミュージシャンには、聴かれた頻度によってお金が「分配」されます。「提供」「共有」「分配」、すべてshareに含まれる意味です。リスナーはミュージシャンの楽曲をフェアユースすることを約束し、プラットフォームはリスナーから支払われたお金を公正に分配します。

 

プログラマーの世界が、これを一番体現しているのかも知れません。プログラマーはGitHubなどを通して、オープンソースとして自分のプログラムを公開し、ほかのプログラマーがそれに加筆をしたり改変したりして新しいプログラムへと育てていきます。

 

フォントもそうです。AdobeとGoogleがいくつかのフォントをオープンソースとして公開していますね。ウェブでは手書きの文字をテキストデータで流通させるのが困難なので、自由に使えるフォントが必要なんです。ちなみに日本も経産省の下位団体である情報処理推進機構(註:現在は文字情報技術促進協議会)がIPAフォントというフリーフォントを提供しています。

 

しかし、先ほどリンクを張ったWikipediaにもあるとおり、フェアユースはかなり抽象的な判断指針で、日本やEUはアメリカとはまた違う法的基準を持っています。フェアって何だって聞かれても答えるのは難しい。スポーツはフェアプレイが基本ですが、ラフプレイギリギリを狙って勝とうとするのも事実です。ビジネスの世界ならなおさらです。

 

先のGoogleの例では、Googleがあまりにも莫大な利益を上げたため、本当にフェアかどうかを問われているのが現状です。Googleがユーザのデータを利用して作った技術を米軍に提供しようとしたときに、それはフェアではないと辞めていった社員が大勢出たことも、フェアユースを物語るひとつのエピソードだと思います。音楽サブスクリプションでも、ミュージシャンへの分配とプラットフォームの利益のバランスが大きく崩れればフェアとは言えないでしょう。

 

そこで、「参照や引用するとき、あるいは現実社会に物理的に転用するときには、こういう風に使ってね」ということを表明してシェアする仕組みができました。それをクリエイティブ・コモンズ(creative commons)といいます。日本語にすると「創造の共有」というような意味です。詳しくは、Creative Commons Japanのサイトをみてください。

 

クリエイティブ・コモンズによって示されるものを CCライセンスといって、パブリックドメイン(無償提供された、または著作権保護期間が終了したコンテンツ)とコピーライト(著作権保護下にあるコンテンツ)の中間に位置づけられています。つまりフェアな状態の維持を具体的に示したものと考えてください。

 

CCライセンスには以下の4つの条件があります。

表示:クレジットを表示してください
非営利:商用に使わないでください
改変禁止:二次利用などで改変しないでください
継承:利用するときに同じCCライセンスを掲示してください

 

この4つを組み合わせて、6つのCCライセンスが作られました。

表示
表示—継承
表示—改変禁止
表示—非営利
表示—非営利—継承
表示—非営利—改変禁止

 

詳しくは Creative Commons Japan のサイトにありますから参照してください。

さて、そこでお願いです。

 

みなさんの作品に、それぞれの希望にそったライセンスをつけてください。

 

ここまでに説明したように、何も掲示しない場合は、シェアするということです。フェアユースを前提に、自由に使ってかまわない。法的にはそれぞれの国や地域で違うことは前にも述べたとおりですが、アメリカで発展したウェブにはもともとそういう性質があるのです。

 

なので、パブリックドメインにするから自由に使っていいよ。オープンソースで素材にしてくれてもいいよ。という人は何も書かなくて大丈夫です。

 

逆に、絶対に使ってほしくない!(見せるだけの共有)という人は、コピーライトをつけてください。

Copyright © 2020  name  All rights reserved.

とページのどこかに書いておくだけで大丈夫です(nameのところに自分の名前をアルファベットで書くこと)。

 

その中間、フェアユースならOK。と思う人は、それをCCライセンスで示しましょう。通常は、「この作品はクリエイティブ・コモンズ表示4.0国際ライセンスの下に提供されています。」という文言とともに、それぞれにあったマークを表示します。Creative Commons Japan のサイトに表示方法が書かれています。YouTubeなどで公開している人は、それぞれプラットフォームのルールにしたがってください。Studio はウェブ制作〜公開のサービスなので、ライセンス表示をしたほうがいいでしょう。

 

(ここからは具体的なファイルアップなど実務的なお話が続くので割愛)

 

これで、ぼくのお話とお願いはおしまいです。

良いプロジェクトにしましょう。

このテキストを読んで、ほとんどの人が©コピーライトを付けた。最低限のシェアしかしないという表明だ。いささか拍子抜けだったが、少しでも私が体験した「ワールドワイドウェブ=世界に張り巡らされた蜘蛛の巣」のことを知ってもらえたならそれでいい(と思うことにした)。

 

さて、このGDRをつくるために、毎月ボードメンバー会議を開いている。その会議で「HTMLエナジー」のことが話題になった。「HTMLエナジー」は、HTML言語だけを使ってサイト(というか、ページ)をつくる運動(?)で、回帰というでもなく、再考というでもなく、淡々と進められている(ようだ)。わたしたちから見れば、最初のウェブ・ブラウザ「モザイク(NCSA Mosaic)」の画面に過ぎないのだが、そこに語るべき何かがあると言われれば、そういう気もする。

 

そういえば、今年1月に開催した「もうひとつの表示」展の田中良治(×谷口暁彦、佐クマサトシ)の作品もハイパーリンクをテーマにしていた。考えてみれば、ウェブ黎明期に何を思い、何をしたかなんて、もう誰もわからなくなっているのだ。

 

そういったことが重なって、このテキストを思い出し、公開してみようと思い立ったのだった。何かの役に立つのかどうかはわからない。

 

「HTMLエナジー」の話は(たぶん)来月に公開します。この文はそのための地ならしでもあります。刮目して待て。

永原康史(ながはら・やすひと)

グラフィックデザイナー。印刷物から電子メディアや展覧会のプロジェクトまで、メディア横断的に活動する。1997年〜2006年、IAMAS(国際情報科学芸術アカデミー)教授。2006年〜2023年、多摩美術大学情報デザイン学科教授。『ブラックマウンテンカレッジへ行って、考えた』(BNN)、『日本語のデザイン』(Book&Design)など著書多数。監訳書にジョセフ・アルバース『配色の設計』(BNN)など。

公開:2025/05/27