表現の民主化と流動性
近年、デジタルデータでありながらも固有性を持つNFT技術が、新しいアートのプラットフォームとして大きな注目を集めている。NFT作品が高額取引されたことで投機的な話題が盛り上がりを見せるが、そのフィールドで活躍するアーティストやそのシーンの動きについては、なかなか全体像を捉えにくい。2000年代よりオルタナティブカルチャーの最前線を捉え、昨年、NFTをめぐるアーティストの実践をまとめた『THE NEW CREATOR ECONOMY』(ビー・エヌ・エヌ、2022)を刊行したデザイナー/編集者の視点から見えたものとは。
●デジタルテクノロジーと表現の民主化
デスクトップ・パブリッシング(DTP)の登場がデザイン文化に与えた影響は計り知れない。その影響は今も続いている。デザインという領域への参入のハードルが低くなったことで多様な人材が流れ込み、新しいツールを用いて新たな表現を生み出す実験が行われるようになった。ツールの進化と共に、表現の多様化が押し進められ、視覚表現としてのデザインはその領域を拡張させて行った。そんな当時のデザイン文化の興隆に一役買ったのが多彩なメディアの存在だった。一般的なデザイン誌だけでなく、インディペンデントマガジン、フリーペーパー、CD-Rやウェブなど、多様な媒体を通して私たちはクリエイターたちの成果にアクセスできた。またメディアそのものも、クリエイターによる新しい創造の実験の場となっていった。
単なる職能であったものが、参加者たちが相互に影響を与え合い、共同で創造を行う場へと変わっていく。そうしてデザインというフィールドは異なる方向性が共存する多元的な空間となった。文化の持つ可能性として重要なのはそうした多様化であり、複雑な影響関係の網の目、その結果もたらされるカオスな状況である。その状況は基本的にはデジタル技術の革新をきっかけにもたらされたものだが、その技術が引き起こしたのは「表現の民主化」ともいうべき事態であった。
次にやってきたのは、スマートフォンの普及により広がったWeb2.0と呼ばれるムーブメントである。SNSやカスタマー・ジェネレイテッド・コンテンツ(CGM)と呼ばれるサービスが乱立し、みなが自身の日常を手元のデバイスを使って発信する。YouTubeやInstagram、Facebookといった多くの人々にアプローチするサービスだけでなく、アーティストやクリエイター層に向けたTumblrやFFFFOUND!といったキュレーションサービスも話題となった。
人々は毎日イメージをシェアし合い、タイムライン上で共有する。それは個人的な気分の表明であったり、個人の探索のプロセスであったりする。日常化されたキュレーション行為によって、バラバラに存在したものをカテゴライズしたり、異なる文脈に乗せて楽しむ、新しい形のイメージの消費の仕方であった。ありとあらゆるイメージが流通し、フラットに消費されていく。それはクリエイターの著作性の希薄化を引き起こし、消費社会が大量に生み出す表層的なイメージを再利用する表現のスタイルを生み出した。
山形一生『Installation View』
ink-jet print, 2019
出典:https://issei.in/img/w_img/exh/4.jpg
●NFTという新天地
後にポストインターネットと呼ばれるようになるその動きは、オンラインに生きる人々の意識から生まれた運動である。デジタルイメージは特定の場所にとらわれず、その作者は不詳であるか、集合探索的な方法で生み出されうる。展示空間はオンラインのタイムラインの上にあり、その場に辿り着いたものだけが体験した瞬間的な出来事として消えてしまう。ディスプレイの上には複数の次元が入り組み、過去や歴史といった重みもない。インターネットそのものが見た夢のように、存在自体が曖昧で、語るものが異なれば、異なる物語が生み出されていく。
しかし、草の根であったその動きはいつの間にか美術の文脈と融合し、ホワイトキューブの漂白された空間、ある特定のキュレーターやギャラリストが紡ぐ歴史觀のなかに取り込まれていった。その結果、ネットのなかで匿名の人々が紡ぎ、渦巻いていた複数性の語りは、再び伝統的な主語へと回収され、アーティストという個人が発信する物語へと収束する。コンピュータ、そしてインターネットがもたらした新しいリアリティと感覚の変容は、物語の源泉として今でもまだ有効であり続けているものの、「ポストインターネット」という言葉のコアにあった人々の動き、可能性や意味は忘れ去られ、その表層のイメージだけが残響音のように拡散、あるいは理解されないまま霧散した状態にある。
なぜここでそんな過去のことを掘り返したかというと、NFTの登場が表現の民主化の流れに新しい展開をもたらしているように感じるからである。それは、BeepleというデジタルアーティストのNFT作品が、クリスティーズのオークションで75億円という値で落札されるという歴史的事件から始まった。これをきっかけに、これまでアートマーケットからは無視されてきたデジタルアートに突如として光が当たり、数多くのアーティストやコレクターがNFTへと参入してきた。あまりに投機的な動きが伝統的なアート界からは嫌悪され、いまだに多くの人々が距離を置いているのも事実だが、これまで日の目が当たらなかったデジタルアーティストや、若く挑戦的なプレイヤーによってこの運動は主導されている。
Alexis André, “Friendship Bracelets #9201”
Owned by themassage.eth
参照:https://opensea.io/assets/ethereum/0x942bc2d3e7a589fe5bd4a5c6ef9727dfd82f5c8a/9201
KUMALEON
●NFTの経済圏と芸術運動
突如として生まれたこの新しいマーケットは作品を評価するシステムをも刷新し、これまでアート界で形作られてきたアート、ギャラリー、コレクターという伝統的な三角関係から、仲介者を介在しない取り引き形態への扉を開いた。このことはさらに、黎明期のコンピュータアートや独自の文化圏を作り出していたジェネラティブアートや、オンラインを発表の場として草の根で作品を作り続けてきたデジタルアーティストたちの再評価へと繋がっていく。世界同時進行であらゆるエリアのクリエイターたちがしのぎを削り始めた結果、目まぐるしい速度で新たな作品が生み出され始めた。ミームやそのときどきの話題に瞬間的に反応していくアーティストの反射神経とトレンドを追う人々の流れにより、流行は次々に移り変わっていく。クリエイターが生きる道を自ら切り拓く、新たなクリエイターエコノミーの時代に私たちは突入したのである。
その一方で、イーサリアム(NFTがベースとするブロックチェーン・プラットフォームのひとつ)が抱える電力消費量の問題を環境の視点から批判するアーティストの声も根強かった。そこで、倫理的に正しくあろうとするアーティストたちが選んだのが、「Clean NFT」という謳い文句を掲げていたPoS方式を採用するTezosというチェーンだった。アートとはかけ離れた投機的なプロジェクトが乱立する空間を避けるかのように、アーティストたちはコストの低いチェーンの特性を活用して、低価格で自由に作品を発表し続けた。特にアンダーグラウンドなアーティストたちはhic et nunc(HEN)というマーケットの自由な空気を好んだ。
HENのフィードには毎日、ありとあらゆる表現の形が並ぶ。イラストレーションから写真、GIFアニメーション、ピクセルアート、デジタルペインティング、ジェネラティブアート、グリッチアート、AIアート、PFPまで。シーンの参加者たちは新しく到来した時代を祝福するかのように、自身の作品の売り上げで他のアーティストの作品を購入したり、宣伝を手助けしたりすることも厭わなかった。人々は今という時代に居合わせた事実を祝福するかのように、取り引きのトランザクションをブロックチェーンに刻んだ。その空間にはインディペンデントな音楽シーンにあるようなDIYと自治の精神が息づいていた。
しかし、ある日突如としてHENは終焉してしまう。開発者の感情的な問題が理由だった。あまりの出来事に当初はSNSを中心に動揺が走ったものの、すぐさま有志がミラーサイトの立ち上げに取り掛かった。NFTはブロックチェーンの技術によって取り引き記録は残り続ける一方、実際のアートワークのデータは、IPFSというP2Pネットワーク上で動作するファイルシステムで管理され、このIPFSへの接続がなくなってしまうと作品が閲覧できなくなってしまう。
だが、今回はそうはならなかった。HENに投稿された作品群は有志の力で救い出され、多くの人々が後続のサイトの運営に名乗りをあげた。現在はTEIAというプラットフォームがHENの精神を受け継ぎ、コミュニティ主導のプロジェクトとして運営を続けている。HENの死はあまりにも早すぎたが、NFTのプラットフォームのサービスが終了した場合、どのようなことが起こるかを知る良い実例となった。
●創造と所有のチェーンの先に
Beeple作品をきっかけとしたNFTのムーブメントが生まれてからまだ2年しか経っていない。僕自身はこの動きを、表現の民主化が行き着く最終地点であると考えている。デジタルツールの登場で誰もが表現者となる状況がもたらされ、SNSの登場でそのイメージが加速度的に流通するようになった。そして最後に、ブロックチェーンの技術がデジタルアートに新しい真正性を与えた。
永続性という新たなアウラを与えられたNFTは、コレクターのアドレスへと辿り着くか、二次流通により循環していく。ブロックチェーンの技術は、途切れることなく人々の創造と所有の記録が連ねられていく新しい時間軸を作り出した。象徴的な作品が生まれれば、それを素材とした二次創作によってそのイメージは増幅される。ときには二次創作が人々の集合的な力を結束して、オリジナルを超えていくことすらある。誰も状況をコントロールすることはできないし、しようとする者もいない。その自由さこそがこの空間の特徴である。極限にまで薄まった著作性を通して、創造的な行為が共同的な関係のなかで紡がれていく。
アートと観客、そしてコレクターとキュレーターの関係性も溶解し始めている。形は変わってしまったが、再び多元的な物語が紡がれようとしている。最近はコンピュータアートの歴史をさかのぼったり、現代に影響を与えてきたパイオニアたちに光を当て、NFTにアートとしてのコンテクストを与えようとする動きも盛んだ。だが、ひとつ言えることがあるとしたら、NFTで生じつつある現実は少なくともこれまで作られてきた「アート」とは成り立ちも仕組みも異なっているということである。
ここで紡ぎ出されているのは、作品と私たちの新しい関係性である。その新しい現象がどんな可能性を秘めているのか。どのようにこの社会を変えていくのか。ワクワクするその出来事の行く先を目撃したいと思っている。そしていつの日か、使い古された「アート」という言葉すら必要なくなる日が来る気もしている。その予兆はいろいろなところで見つかり始めている。しかし、それについて書くにはまだ準備が足りていない。いつかどこかで、その先を伝えられたらと思っている。
庄野祐輔 しょうの・ゆうすけ
1976年生まれ。デザインと本の編集。オンラインメディア「MASSAGE」発行人。インターネットの影響を受け現れた世界中のさまざまな表現を紹介している。近年の著書に『THE NEW CREATOR ECONOMY NFTが生み出す新しいアートの形』(2022)、『映像作家100人+NEWCOMER 100 JAPANESE MOTION GRAPHIC CREATORS』(2023、以上ともに共著、ビー・エヌ・エヌ刊)など。
公開:2023/05/01
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