書体は作者の罪を背負うか
20世紀末に発表された評伝によって近代デザイン史、タイポグラフィ史における重要人物のひとり、エリック・ギルの「不都合な真実」が明らかになった。以来、ギルの業績やその書体の運用をめぐって、さまざまな議論が交わされている。作者とその制作物は切り離して考えられるのか、否か。国際的に活躍する書体デザイナーが考える。
バナー画像:エリック・ギル、1908-9年頃(出典:Fiona MacCarthy, Eric Gill: Lover’s Quest for Art and God, 1989)
日本およびタイポグラフィの世界でエリック・ギル(図1)といえばエドワード・ジョンストンの弟子、そしてGill SansやJoanna、Perpetuaなど名作とされる書体の作者として有名だ。特に人気のGill Sans(図2)は、ジャンルとしてはヒューマニストサンセリフまたはジオメトリック(幾何学的)サンセリフに属する。
ジョンストンのロンドン地下鉄書体は古典的な文字の骨格を幾何学的に造形した現代のヒューマニスト・サンセリフの源流と言われ、Gill Sansはその第2世代にあたる本文書体である(ロンドン地下鉄書体の実制作はギルが担当したとも言われる)。サンセリフのジャンルといえば本文用としては不向きとされたグロテスク体しかなかった1920年代当時、その造形のシンプルさと読みやすさから、同時代のFuturaなどと共に人気を博した。
彼はまた彫刻家、画家、碑文彫刻家、文筆家でもある。彼の作品は美術館のみならずBBC本社ビルの外壁(図3)やウエストミンスター大聖堂の内部など、イギリス国内のさまざまな公的環境を飾っており、全国的にもよく知られた20世紀の英国を代表する芸術家である。
図1:エリック・ギルの自画像
By Eric Gill – http://timescolumns.typepad.com/stothard/2015/11/eric-gill.html, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=45649783
図2:Gill Sans
By The original uploader was GearedBull at English Wikipedia. – Transferred from en.wikipedia to Commons., CC BY 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2145519
図3:BBC本社ビルの外壁。プロスペローとアリエルの像。
By Mike Knell from Zürich, Switzerland – Prospero and ArielUploaded by Oxyman, CC BY-SA 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22356895
ギルの知名度の高さの理由は彼の異常な性への固執にもある。彼の残したスケッチや彫刻を見るだけでもヌードおよび性器を題材とした作品が多いことが分かるが、その性衝動は作品の範疇を越えている。ギルの性生活については死後の伝記も含めて長らく語られることはなかったが、1989年にフィオナ・マッカーシーの著書『Eric Gill: Lover’s Quest for Art and God(エリック・ギル:芸術と神を愛する者の探求)』(図4)にて明かされることとなる。そこには彼の姉妹や長女、次女との常態的な近親相姦、さらには家の犬とも交わったという事実が記されていた。彼の手記には娘の体のさまざまな採寸結果が残されており、また作品の日付と照らし合わせることで、自分のヌードモデルにした娘をデッサンした同日に姦通していることなどが分かる。58歳でこの世を去る直前まで、姉妹や使用人の娘などとこのような生活を続けていたとのことだ。(娘2人の精神的被害に関しては、彼女たちは家庭内で教育を受けており、上記は日常生活の一部と化していて異常だという感覚はなく、後年も恥じることはなかったそうである。)
この事実が知られて以降、ギルの作品の見方だけでなく扱われ方も変化してきた。公共スペースの彼の作品は近隣住民からのコンスタントな撤去要請に晒されており、先のBBCでは2500名近くの撤去要求の署名に対して「ギルの行いは許容しないが、彼が作品を残した事実を抹消するのではなく、残して議論をし続けることが正しいアプローチと信じている」として、撤去はしない方針を示している(また今年2月には男性が壁の彫刻によじ登り、ハンマーで破損させるという事件が発生した)。一方でギルの作品を多く所蔵するアーツ・アンド・クラフツ美術館は、非難を覚悟のうえであえて彼の特別展を組んで、両方の側面との向き合い方を世に問うている。
Gill Sansに代表される書体作品は、特にブランディングでは徐々に姿を消している。児童の権利の保護を目的としたボランティア組織Save the Childrenはギル書体の廃止を決定、これまでGill Sansだったロゴも先月あたりから別書体に代わっている。長らくGill Sansを使用していたBBCは2016年に完全カスタムの書体Reithを依頼、導入している(実際の要因はGill Sansの膨大な年間ライセンス料の削減の方だと思われるが)。コンプライアンスの水準が高まるなか、今後もGill Sansの制定事例が減ることはあっても、新たに採用されることはないだろう。
ところでアートとアーティストの切り離しはどういったときに難しくなるのだろうか。一つには、その人物の悪行が作品の名声と釣り合う場合であろう。切り離しやすい例を挙げると、自分のよく聞くHello Internetというポッドキャストで、以下のようなやりとりがあった。
スター・ウォーズなどで有名な映画俳優のハリソン・フォードは小型飛行機の免許を所有しており、飛行が趣味だそうだが、なにぶん高齢である。2017年には当時74歳のフォードが小型飛行機の遊覧飛行の着陸時、指定された滑走路の隣に進入してしまい、110名搭乗する旅客機と衝突スレスレになった。仮に彼が実際に衝突事故を起こして乗客全員を死なせてしまったとしても、歴史はハリソン・フォードを俳優として記憶し、飛行機の事件はちょっとしたトリビア程度の扱いになるのではないか。
ハン・ソロやインディ・ジョーンズを消し去るには、おそらく連続殺人犯程度でも足りない。核攻撃での大量虐殺ほどの悪行でないと、第一に悪人として語り継がれないのでは、というのが同ポッドキャスト内での結論だった。かたやギルは、作品より性異常者としての評が先行することも少なくなく、賛否両論の割合は拮抗しているか、否の方に傾いていると感じる。
また作品の題材そのものが問題と直結しており、切り離しを拒むこともある。ナチス・ドイツ下の映画監督であるレニ・リーフェンシュタールは、『意志の勝利』に代表される記録映像作品で後世の映画制作に多大な影響を与えたが、それらの内容はナチのプロパガンダであり、ナチの産物を見ている自覚は消えない。リーフェンシュタール本人はただ表現のため、事実の記録のためと主張し、ナチ党員にもならなかったが、この方面からの批判とは一生向き合うこととなった。
ギルの彫刻絵画もしかりで、おそらく娘であろう少女のヌード作品などは、彼の異常な私生活の産物でもあり、漫然と眺めることはできない。バラエティに富んだギルの作品群の中でも、槍玉に上がりやすいのはやはり人物を題材としたものだろう。一方でヒトラーは美大への進学を断念したのち政治の世界に身を投じるが、これらの絵画を描いた彼は世に知られる悪人になる前のいわば別人であり、頭の切り替えには個人的にそこまで苦労しない。『我が闘争』を読むとなれば別の話だが。
アドルフ・ヒトラー「ウィーン国立歌劇場」(1912)
www.hitler.org/art/buildings/; https://www.wikiart.org/en/adolf-hitler/opera-de-vienne, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=46050572
最後にギルには関係ないポイントではあるが、作者が存命の場合は、作品の鑑賞ないし購入が作者の経済活動のサポートに繋がってしまう。『ハリー・ポッター』シリーズの著者であるJ.K.ローリングはトランスジェンダーに対して偏見的、懐疑的なコメントを度々出しており、映画シリーズの主役メンバー一同から公式に彼女を非難する声明が発表されている。また書体の世界では、Dutch Type LibraryからDTL FleischmannやDTL Prokyon等をリリースしているエアハルト・カイザー(Erhard Kaiser)という書体デザイナーが、ドイツの反イスラム団体の熱心なメンバーとして知られている。
文字は抽象的なオブジェクトであり、ギルの書体や碑文などから彼の異常な性への執着を感じることはない。筆者は自分をアートとアーティストを切り離せる人間だと捉えていて、そこにはギルの書体やドローイングへの憧れと、彼を人として許せない気持ちが争い合うことなく共存している。(かつて自分がギル書体を売る側に属していて、原図などを自由に見られる立場にあったことも関係するかもしれない。)
しかし書体とは完結した作品ではなく他者のための道具であり、使用することで自分の見解を社会に押し出すことになる。その影響は当然考えなければならないだろう。またタイポグラフィの目的とはまず意思疎通、相互理解であり、その道具を他人の自由意志や人権を踏みにじる人間が生み出していることには道徳的な矛盾を感じる。そのため私はギルやカイザーの書体を使いたいとは思わないし、他の人にもあまり使ってほしくないというのが本音だ。
BBC本社外壁の作品など、これまで作られた歴史を抹消することで否定するのは間違っていると思うが、今後の作品にギルを用いるのには気が進まない。余談だが日本では一時期「Futuraはナチ書体」という風説があり、最近はデマとして片付いた感がある。それと比べればギルの経歴は事実であり、彼の書体の使用の是非の方がよほど議論されて然るべきではないだろうか。
そういうわけで最後になるが、ギルの代表作であるGill Sansに替わる現代の書体を考えていきたい。ギル書体、特にGill Sansは美しい書体ではあるが、1928年の発売開始から100年弱の間に書体の世界は進歩してきた。「いまだ替わりが存在しない」と凝り固まるべきではないと思うし、今どきギルを使わなくても困ることはないはずだ。以下に紹介するのは海賊版書体の類でもFuturaやFrutigerのような伝統的に代替と考えられてきたものでもなく、Gill Sansの影響が見られるものや代替を意識したもの、偶然同じジャンルに属する現代の書体を少数ながら選んでみた。
RowtonはGill Sansから幾何学的要素と彼独自の癖を抑えた今世代的なヒューマニスト・サンセリフ(書体名はギルのミドルネームから)。ステンシルは完全にギルから離れた創作だ。
BC Eric MachatはGill Sansの見出し書体としての面白さをヒントにしたファミリーで、いかにも彼らしいデザインでありつつ、CやSなどのターミナルの斜めカットは彼のスタイルには見られない独自の処理である。
GT Ultraはセリフまで含めた守備範囲の大変広いバリアブルフォントで、直接的にギルの名前は出てこないものの、サンセリフ部分は彼のレタリングスタイルを彷彿とさせる。
MetroはGill SansやFuturaと時代およびジャンルを共有するアメリカの書体で、Metro Novaは筆者による復刻。小文字eにはもっと大人しい異体字がある。
FF Yoga SansやFF Scala Sansはずばりギルらしくはないが、どちらかというと金属活字のラフさのような個性が魅力。
大曲都市 おおまがり・とし
書体デザイナー。武蔵野美術大学を卒業後、英国書体デザインコースを修了し、モノタイプ社に入社。現在はフリーランスの書体デザイナーとしてロンドンを拠点に活躍。欧文書体を中心に、キリル文字、アラビア文字、チベット文字などの多言語書体デザインを得意とする。著書に『アーケード・ゲーム・タイポグラフィ』がある。
公開:2022/12/09
修正:2022/12/10 「ドイツの反ユダヤ団体」→「ドイツの反イスラム団体」
修正:2022/12/19 「「J.K.ローリングは性同一性障害に対して」→「J.K.ローリングはトランスジェンダーに対して」
- 78
ひび割れのデザイン史/後藤護
- 77
リリックビデオに眠る記憶の連続性/大橋史
- 76
青い線に込められた声を読み解く/清水淳子
- 75
日本語の文字/赤崎正一
- 74
個人的雑誌史:90年代から現在/米山菜津子
- 73
グラフィックデザインとオンライン・アーカイブ/The Graphic Design Review編集部
- 72
小特集:ボードメンバー・ブックレヴュー Vol. 2/永原康史/樋口歩/高木毬子/後藤哲也/室賀清徳
- 71
モーショングラフィックス文化とTVアニメのクレジットシーケンス/大橋史
- 70
エフェメラ、‘平凡’なグラフィックの研究に生涯をかけて/高木毬子
- 69
作り続けるための仕組みづくり/石川将也
- 68
広告クリエイティブの現在地/刀田聡子
- 67
音楽の空間と色彩/赤崎正一
- 66
トークイベント 奥村靫正×佐藤直樹:境界としてのグラフィックデザイン/出演:奥村靫正、佐藤直樹 進行:室賀清徳
- 65
『Revue Faire』:言行一致のグラフィックデザイン誌/樋口歩
- 64
小特集:ボードメンバー・ブックレヴュー
/樋口歩/永原康史/高木毬子/後藤哲也/室賀清徳 - 63
表現の民主化と流動性/庄野祐輔
- 62
コマ撮り/グラフィックデザイン/時間についての私的考察/岡崎智弘
- 61
画像生成AIはデザイン、イラストレーションになにをもたらすのか?/塚田優
- 59
図地反転的映像体験/松田行正
- 58
私の仕事道具/石川将也/小玉千陽/柿本萌/東泉一郎/三澤遥/加瀬透/脇田あすか/佐々木俊/正田冴佳/菊竹雪/田中良治/増永明子/味岡伸太郎