The Graphic Design Review

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日本語ゴシック体のデザイン

現在とこれから
日本語ゴシック体のデザイン

表示媒体が多様化した現代、その環境に順応するように、毎年さまざまな書体が生み出されている。書体の作り手は時代とともに変わり、デザインのプロセスも答え方もその時々で変わってきた。それでも人の手によって作り出されるということに変わりはなく、脈々と引き継がれてきたものがそこには確かにある。

書体やフォントというと、現在はデジタル書体を思い浮かべる人が多くなってきているのではないだろうか。時代を二十世紀後半に遡ると、日本においてこの役目は写植書体が担っていた。私が小学生の頃にはすでに一家に一台のパソコンという時代だったため、実作業で写植書体を使うという経験は残念ながらほとんど経験したことがない。しかし、書体を扱う業界にいると必ず耳にする写植書体というものに興味が湧かないはずがない。

写植時代の、とくにゴシック体を語るうえで外せないのが1970年代に発売されたナールとゴナだ。これら二つの書体は、過去の名作として言及されることが多いが、「過去」という言い方をこの場ではしないようにしたい。なぜなら、良質な書体は数十年というスパンで使われるものだからだ。実際にナールやゴナは街のあちこちで今なお見ることができ、写植という言葉を知らない若い世代でも、実は必ず一度は目にしたことがある書体なのである。

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図版1:街で誰もが見たことのあるナール

日本語のデジタル書体のなかでもゴシック体は、バリエーションに富んでいて、用途によって使い分けることができる。

一つの日本語書体ファミリーを作り出すのは、多くの場合、数年単位の作業となる。そのため、今日作っている文字のデザインが数年後にも旬であるという確実性はない。それでも、多くの書体デザイナーは、長く広く使われる書体を作り出したいと、日々一つひとつの文字を丁寧に作り続けている。

さまざまなゴシック体に溢れている世の中で、「新しい」ゴシック体を作り出すというのは非常に苦労を伴うことで、アイデアを導き出すには何かしらのインスピレーションが必要となる。ナールとゴナは、1970年代の日本の風景を大きく変えた書体で、新しい書体を生み出すことがどういうことかを教えてくれる。

私は以前、大変ありがたいことに、ナールとゴナの生みの親である中村征宏さんへ取材をする機会に恵まれた。後述するナールとゴナについての詳細は、その取材を通じて学んだことである。

取材時に見せていただいた手書きの原字の線は、はっと息をのむような緊張感で描かれていた。自分たちが街で何の気なしに見ていた書体は、人の手から、このように生み出されてきたのだと実感するとともに、これから長く続く書体づくりの人生を考えると身の引き締まる思いがしたのを今でも鮮明に覚えている。

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図版2:原字を指さす中村さん

ナールの誕生によって変わった風景

1960年代、日本の書体業界を牽引していた会社の一つが写研である。現在第一線で活躍している書体デザイナーの多くが写研の出身だ。その写研が1970年に公募式のタイプフェイスコンテストを開催した。このコンテストで一等賞を獲得したのが、中村さんのデザインした丸ゴシック体、後のナールだ。明朝体やオールド系のゴシック体、手書き文字が主流だった60年代。そこに突如現れたナールは、極細のウェイトに大きな字面、そして幾何学的な骨格を持ち合わせた「新しい」書体であった。

日本語は縦にも横にも文章を組める必要がある。そのため、仮名文字や漢字は基本的に正方形の枠を基本として設計されている。たとえば「り」や「う」のような細身の文字を手書きに近い形で描画した場合、正方形の中で文字の左右に大きくスペースができる。

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図版3:横組の中での「り」や「う」

これによって、横組をした際に文字間のバランスがまちまちになり、場合によっては読むときのリズムを損なうこともある。デジタル書体においては、InDesignやIllustratorといった専用のアプリケーションを使えばクリックひとつで誰でも簡単に文字詰めすることができるが、金属活字や写植の時代にはそうはいかなかった。当時は、写植で打ち出された文字をハサミで切り貼りして文字詰めを行っていたそうだ。

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図版4:中村さんによる当時の文字詰めの再現

そうしたご自身の経験をふまえ、手作業による文字詰めの苦労を克服するために生み出されたのがナールである。そのデザインには、中村さんが書体デザイナーになる以前にテロップ職人として会得した丸文字の要素が感じられる。モダンで革新的なこの書体を当時のデザイナーがこぞって使ったことは、70年代の雑誌や広告などを見てみるとよく分かる。

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図版5:中村さんが当時制作したテロップの一つ
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図版6:ナールのデザイン

石井細丸ゴシック体との比較からも分かるように、ナールは仮想ボディ(文字を作る際に基準となる正方形の枠)に対して、字面やフトコロ(文字の中の空間)が広がりをもつようにデザインされている。大きな字面の丸ゴシック体をイメージすると、もしかしたら幼く可愛らしい印象を思い描くかもしれない。しかし、ナールは緊張感のある線質で設計されているため、そう感じさせない不思議で魅力的な書体なのである。そして、この字面の大きさによって、それぞれの文字の周りのスペースはなくなり、縦で組んでも横で組んでもスペーシングの調整をする必要がなくなったのである。

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図版7:石井細丸ゴシック体(上段)、ナール(下段)

新しい挑戦とゴナの成功

1972年、写研は中村さんに角ゴシック体の制作を依頼した。それは「当時の書体のなかで最も太い角ゴシック体をデザインしてほしい」という内容であった。その依頼を受けて出来上がったのが、ゴナU(以下、ゴナ)である。ここで、ゴナと石井特太ゴシック体を比較してみる。ゴナが限界を超える太さであったことは、一目瞭然であることが判っていただけるだろう。

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図版8:石井特太ゴシック体(上段)、ゴナU(下段)

ゴナがデザインされた当時、ゴシック体というと石井ゴシックのような、今でいうオールドスタイルの角ゴシック体を思い浮かべるデザイナーが多かったという。オールドスタイルの角ゴシック体は、起筆部にアクセントをもつものが多い一方、ゴナは、水平垂直に切り落としたような非常にシンプルな処理が施されている。また、骨格も他書体とは大きく異なる。それまでのゴシック体は楷書の骨格を踏襲していたが、ゴナはフトコロが大きく幾何学的(ジオメトリック)な骨格となっている。太さでいえば、初めて出たナールとは真逆であるにもかかわらず、ゴナにも緊張感があるのは、精緻に揃った文字の黒みとフトコロのためであろう。これらすべての要素が調和することで、ゴナの存在感は際立ち、商業的に成功した初めての幾何学的角ゴシック体となったのである。

Shorai Sansに引き継がれる哲学と新しさ

2022年2月、私の所属するMonotype社からShorai Sansという日本語書体が発売された。Avenir Nextの造形的要素をもつ、ジオメトリックサンセリフ体だ。約3年の開発期間を経て完成したShorai Sansは、幾何学的でシンプル、だけれど手書きの温かさが感じられるような仕上がりになっている。Shorai Sansをひとことで表すなら、「何も足さない『素』のかたち」。付属欧文には、和文にあわせてサイズや位置を調整したAvenir Nextを採用し、和欧混植に最適化している。ウェイトは、極細のUltra Lightから限界を超えた太さのHeavyまで、10種類にわたる。

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図版9:Shorai Sansファミリー

この書体は、作成に共に携わった私にとっては夢のようなコラボレーションによって完成に至った。ディレクションはMonotypeクリエイティブタイプディレクターの小林章さんが担当。そしてナールとゴナの生みの親である中村さんを制作チームにお招きすることができたのである。

小林さんといえば、欧文書体デザイン界の巨匠、アドリアン・フルティガー氏やヘルマン・ツァップ氏とのコラボレーションにより、さまざまな名作書体の改刻版を送り出してきた、欧文書体業界において第一線で活躍するデザイナーだ。そして、フルティガー氏とのコラボレーションによって生まれた書体の一つが、Shorai Sansにも組み込まれているAvenir Nextである。フルティガー氏のデザインの哲学は小林さんに引き継がれ、そして日本語書体のデザインにもその流れが繋がった。

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図版10:Avenir Next制作開始時のフルティガー氏と小林さん(2002年)

最初にAvenirが世の中に出たのは1988年。太さのバリエーションが少なかったファミリー構成は、2004年にフルティガー氏と小林さんによって大胆に拡張された。最も太いウェイトのHeavyは、このときに追加されている。

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図版11:AvenirからAvenir Nextへの拡張

このHeavyは、Shorai Sansのファミリーのなかでもキーとなるウェイトだ。見出し・装飾用の書体としてデザインされたものを除いては、日本語書体でここまでの太さをもったゴシック体はおそらくないだろう。太く強く、しかし読みやすいように、という要求を同時に達成することがプロジェクトの肝となった。そのために、1970年代に極太書体のゴナを作られた中村さんの指導を仰いだ。たとえば「徳」という文字を例に挙げると、主要な筆画は思い切り太く作り、一方でフトコロ部分は全体に均一に見るように設計している。これによって、極太の強さを見せつつも精緻な印象をもたせている。また、通常は一つひとつの筆画を分けてデザインする部分を、あえて重ね合わせることで、限界を超えた太さの実現にも繋がった。これは、ぎょうにんべんのデザインに顕著で、小林さんが寄席文字の書法から学ばれたことも活かされている。

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図版12:Shorai Sans Heavyの大胆な黒みの見せ方

他にもShorai Sansの文字には特徴的な形状が見られる。たとえば「素」という文字を、たづがね角ゴシック(Monotypeから2017年に発売されたヒューマニストサンセリフ体)と比べてみると、糸部の折り返し部分の違いが明白である。たづがね角ゴシックは、現在見られる多くの日本語ゴシック体と同じようなデザインになっているが、Shorai Sansのデザインは大きく異なる。これは、幾何学的でありながらも手書きに近い形状を模索した結果出てきた一つの答えだ。

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図版13:Shorai Sans(左)、たづがね角ゴシック(右)

ここでShorai Sansのひらがなに注目していただきたい。幾何学的という言葉がキーワードであるからといって、必ずしも正円や水平垂直のシンプルな線質で表現する必要はない。曲線や微妙なニュアンスの多いひらがなからその要素のすべてをそぎ落とすのはおおよそ不可能であるため、わずかな曲線や右上がりの印象を残して、縦組でも横組でも違和感なく読めるように努めた。

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図版14:ジオメトリックサンセリフ体のShorai Sans(左)、ヒューマニストサンセリフ体のたづがね角ゴシック(右)

このプロジェクトを進めていくなかで驚いたのは、中村さんも小林さんも、とにかくバリエーションを多くつくることだ。駄目でも良いから、試作をつくる、検討する、その繰り返しを何度も行った。図版15に載せているのは、その試行錯誤のプロセスの一部である。実際にはここに写っていない他の検討案もあり、五十音すべてにおいて考えられる案を検討した。仮名のデザインは、プロジェクトの最初期から最後まで通して行う。それは、プロジェクトが進み、漢字と組み合わせてさまざまな文章組をしていくなかで発見できることがあるからだ。昨日見たデザインが、今日見たら「何か違う」と感じることもあるし、数ヶ月前のデザインが実はこの書体ファミリーにはふさわしい形で、時を遡ってそのデザインを引っ張ってくることもある。

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図版15:仮名のバリエーション検討の図
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図版16:Shorai Sans Heavyの「を」

これだけたくさんのバリエーションが出せることから分かるように、文字のデザインに正解はない。お二人ともが、培った経験や審美眼をもとに、前提条件をつねに疑い、新しいことに挑戦していかれる姿が私のなかでは強く印象に残っている。

和欧の組版について

国際化が進んだ今日で、日本の組版者やデザイナーを悩ませるのは、和欧文の混植、あるいはさらに範囲を広げて、多言語への展開である。正方形が整然と並ぶように設計されている和文書体に対して、文字一つひとつが異なる幅で設計されている欧文書体。設計のプロセスもルールも異なる二つの文字体系を、「自然に見える」ように組み合わせる必要があるのだ。デザイナーは専用のアプリケーションを使えばある程度細かな調整が可能だ。では、そうではない大多数の方々の環境ではどうか。調整の自由度が低く、組み合わせを試行錯誤できる環境ではないかもしれない。

現代の書体デザインに求められていることの一つとして、そうした制限のある環境下でも問題なく使えるものを作ることが挙げられるだろう。ただ英語や中国語、韓国語の対訳を載せたら良いという時代は過ぎた。デザインが調和している書体を、狙いをもって選定し、美しく組版する必要がある。

Shorai Sansでは付属欧文にAvenir Nextを組み込む際、サイズを大きくしてベースラインを下げるといった処理を施している。これによって、和欧混植の組版が一層綺麗にできるようになる。また、同じ思想で設計されたファミリーを用いれば、多言語展開も容易にできる。

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図版17:多言語展開にShorai SansとAvenir Next Wordを使用した例

文字と社会との繋がり

Shorai Sansの制作で多大なるご指導をいただいた中村さんは、プロジェクトの途中でこのようなことをおっしゃった。「この書体が完成後に社会でどのように使われるか見たいと思います」。中村さんが生み出しだナールとゴナは、1970年代からの日本語ゴシック体の風景を一変させた。社会で書体が使われる姿を誰よりも多く見てきた中村さんから出てきたこの言葉は、とても重みがある。

書体を取り巻く環境は時代とともに変わっている。そのなかで、文字づくりの哲学は確実に引き継がれている。フルティガー氏やツァップ氏の哲学は小林さんに引き継がれた。そして今は、その小林さんや中村さんから私が多くを学ばせていただいている。川の流れでいうと枝分かれした末端にいる私が言うのはおこがましいが、時代や国境を越えて、文字づくりの歴史はこうしてさまざまに分岐をしながら繋がっているのだと、強く実感せざるを得ない。引き継がれた文字づくりの精神は脈々と続き、社会を構成する柱の一つとして、書体はこれからも作り続けられる。

土井遼太(どい・りょうた

 

タイプデザイナー。東京藝術大学デザイン科を卒業後、英国レディング大学書体デザインコースで修士号を取得。2015年よりMonotypeに在籍し、企業制定書体の開発や、書体選定をはじめとしたコンサルティングを行う。また、たづがね角ゴシックの制作メンバーとして、ファミリー展開やCJK(中日韓)言語に対応した字種拡張にも携わる。最近では、大学での講義や国際カンファレンスでの登壇を通じ、国内外に向けて書体についての発信をしている。

公開:2022/04/21