The Graphic Design Review

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「ことば」という素材

グラフィックデザインにおける言語教育
「ことば」という素材

グラフィックデザイナーは視覚表現を司る職業だと思われがちだが、実は言語表現にも密接に関わる職業である。「言語」が介在しないグラフィックデザインはほぼ存在しない。たとえそれがビジュアルの一部として扱われていたり、多くの人が理解できない外国語だとしても、文字があれば人はその背後にある意味を想像する。グラフィックデザイナーとは「イメージ」と「ことば」の相乗効果、衝突、矛盾など、あらゆる関係性を考慮し監督する仕事なのかもしれない。

 

筆者の母校であるリートフェルト・アカデミー(オランダ・アムステルダム)のグラフィックデザイン科に「Writing/ライティング」の授業が開設されたのは2016年のことだ。設立時からこの授業を担当するフィル・ベイバー(Phil Baber)は、文学専門の独立系出版社The Last Booksを主宰するデザイナー・編集者・作家、そして筆者の同級生で友人でもある。彼が現在取り組んでいる未来のグラフィックデザイナーへの言語教育とはどんなものなのだろうか。

樋口:こうやって対面で話すのはひさしぶりだね。いつもThe Last Booksの活動は追っているけど、そういえば教育方面の話は今までちゃんと聞いたことがなかったなと思って。そもそも、いつからリートフェルトで教え始めたの?

 

ベイバー2016年の1月から。ディビッド(リートフェルト・アカデミー・グラフィックデザイン学部長のDavid Bennewith)が声をかけてくれたんだ。知ってると思うけど僕らが在校してた頃にはなかった卒業論文が必須になって、そのための授業が必要になったのがきっかけだった。ディビッド自身が言語に造詣が深い人だし、グラフィックデザインを学ぶ学生たちにとっても「ライティング」の授業は大切だと考えたんだと思う。

 僕が教えてるのは学部2年と最終学年(日本の美大の大学3年と4年)。学部2年生のクラスが卒論への準備段階である「ライティング」の授業で、翌年同じ学生たちの卒論をルイ・ルティ(Louis Lüthi)と一緒に監修してる。彼は学部1年生の「ライティング」の先生でもある。

 

樋口継続して同じ先生が担当してくれるのはいいことだね。ちなみにアートスクールの卒業論文ってどのくらい学術的じゃないといけないの?

 

ベイバー:学術的かどうかはさておき、とりあえずみんな論文を完成させなきゃいけないという感じかな。厳密なガイドラインはないけど最低でも英語で5000語程度。いわゆる「論文」じゃない実験的な形態にも寛容だけど、たとえば卒論として彫刻作品を提出するのはダメだね。

 テーマは自由だけど、学部2~3年生の間に考えてきたことについて研究することを勧めてる。これは学生たちに出発点を与えて、卒業学年がゼロからのスタートではないことを思い出してもらうためでもある。前期の卒論で書いたことが後期での卒業制作プロジェクトに影響を与えることはよくあるけど、必ずしもこの2つが関連していなければならないというわけではない。

 

「ことば」という素材
2020年卒の佐藤友莉の卒業論文『Glossing Tongues』

ベイバーあと当たり前だけど、リサーチにもとづいたものじゃないといけないっていうのはある。でもそもそもリサーチの仕方も知らない学生にとってはそれが難しい。僕はぜひ図書館に行ってほしいと思っているんだけど、まずそこから大変で。

 こないだある学生が「女性の工芸品がなぜ芸術とは見なされないのか」について調べ始めたんだけど、参考資料として彼女が用意した画像はGoogleの画像検索で見つけたものばかりだった。だから僕は「図書館に行ってテキスタイルやレースの本を探した方がいいよ」と助言したんだ。

 大概の学生は僕の言うことなんか聞かないんだけど、彼女は図書館で素晴らしい本をたくさん見つけてきて、すごく興奮しながら僕や他のクラスメイトに見せてくれた。それがクラス全体に対していいモデルケースになったんだ。Googleのような検索機能はある種のことに対しては便利だけど、研究ツールとしては限界がある。基本的に探していたものを返してくれるだけだからね。

 

樋口本当にそう!わたしも図書館で調べものするときには思いがけない出会いを期待して行くんだけど、不思議なことに毎回それが起こるんだよね。

 

ベイバー:10年前だったら、それって自分の中にある物理的な「本」に対するノスタルジーやセンチメンタルな魅力、あるいは強迫観念のようなものなのかも……と思って言い澱んでしまったと思う。でも今学生たちに欠けているのは本当にそういうことなんだ。僕は彼らがSNSやオンラインメディアの地獄から抜け出す手助けをしたいと思ってる。

 

樋口ちなみに、今1クラスには何人くらいの学生がいるの?

 

ベイバー123人くらい。

 

樋口その中で英語が母国語の学生は何人?

 

ベイバーまったくいないか、いても12人かな。

 

樋口わたしたちの頃と同じくらいだね。となると個人差はあるものの、ほとんどの学生にとって第二言語である英語で論文を書くってものすごいチャレンジだと思うんだ。そもそも、話すのは得意だけど書くのは苦手という人もいるし、ビジュアルには強いけど言葉にするのは苦手という学生もいるだろうし……そういう学生たちをどうやって指導していくの?

 

ベイバー僕が出す課題は言語の「物質性」について考えるためのものだと思う。学校の作文のような言語へのアプローチから学生たちを遠ざけたいんだ。「自分の英語力は十分じゃない」という恐怖から解放してあげると、本当に驚くように美しくて魅力的な文章やフレーズが出てくることがある。だから「Writing/ライティング」という授業名はもしかしたら適切な名前じゃないのかもしれない。なんと呼べばいいのかわからないけど……Language/言語」が近いかな。

 

樋口:ふだんの授業はどんな感じで進行するの?

 

ベイバー学部2年生では、最初の授業でメインの課題を発表して、それ以降の中間報告は34人のグループに分けて僕が順に話を聞いていくんだけど、待っている間他のグループにはちょっとした演習をやってもらう。

 よく出すのは「homophonic translation/同音異語翻訳」。クラスの誰も理解できない言語(ラテン語)で書かれた文章を、音を頼りに翻訳する演習。たいがいナンセンスな文章が出来上がるんだけど、なかなか興味深いナンセンスになるよ。

 

「ことば」という素材
「同音異語翻訳」の課題をまとめた小冊子
「ことば」という素材
しおりに書かれているのが翻訳の対象であるラテン語のテキスト
「ことば」という素材
書式やレイアウトも含めた自由な解釈が可能だ

ベイバー他の簡単な演習だとコラージュで文章を作ることとか。机の上に山のように本を用意しておいて、学生たちはそれぞれの本からランダムに1つの文を選び文章を作っていく。小説、科学書、食洗機の説明書とか、できるだけ多様な本を用意する。

 これもまた言語を普段とは違った角度から見るためのエクササイズで、習慣的な表現方法や「言語はただ情報を伝えるもの」という考えを断ち切るためのものなんだ。言葉って目に見えないし、空気のようなものとして扱っている人がほとんどだろうけど、学生には「物質」としての側面を意識して、粘土をこねくり回すみたいに自由に遊んでほしいと思ってる。

 

樋口面白そう!わたしもやってみたい。文法的な間違いとかボキャブラリの有無を問われないのがいいね。メインの課題についても聞きたいんだけど、最近の例とかある?

 

ベイバーこの授業はオランダでロックダウンが施行された2020316日に始まったんだけど、オンライン授業に対応しようと僕が新しく考えた課題が、ラジオ放送を制作してもらうことだった。毎週自分の興味があることについて調べて10分間のラジオ番組にまとめて発表するっていう。今までの課題は書き言葉を扱うものばかりだったから音声を使っての課題はとても楽しかった。

 嬉しかったのは、リサーチで見つけてきた音声素材を使って番組を作る学生が多かったこと。僕はよく「言語は共用物だ」って学生に言うんだ。言語は誰かの所有物じゃない。自分だけで言語を作ることなんてできない。だから言語は常に二次的なものであり、借り物なんだ。

 そういう意味で、言語は本来「コモンズ(誰もが自由に使うことのできる資源)」だと言える他人の言葉を使って書くことってコラージュに近いけど、でも逆にそれを方法論として使うのもアリなんじゃないかな?そもそも言葉というものは借り物なんだから。

 

樋口「共用」というコンセプトでいうと『See Also』の課題についてもぜひ話したいな。本屋でこの本見つけたとき本当に感動した。みんなで新しいグラフィックデザインの用語辞典を作ろうっていう試みだよね。

 

ベイバー2017年の課題だね。まずは第1週目で自分がグラフィックデザインに関連すると思う用語を10単語選びそれぞれの定義を150語で書いてもらった。それをGoogleドキュメントでクラス全員とシェアした後、次の3週間では2、3人のグループに分かれて集まった約150語の中から各グループ10語を選んで、定義を推敲したり書き足したりした。最後の3週間で、グループごとに辞典をデザインし本として提出するっていう7週間の課題。

 これは「今」という歴史的瞬間に立っている僕らが実践していることを再定義するためのデザイン用語辞典だ。学部長のディビットがこの課題を気に入ってくれて、ぜひ一冊の本にしようといってくれたんだ。

 

樋口わたしが個人的に好きなのは「アルデンテ」の項目。定義は「イタリア語で、ある概念が理解される際にちょうどよい抵抗をもたらすこと」。料理用語だけど、こうやって解説されるとデザイナーも意識するべき言葉になる。

 

「ことば」という素材
『See Also』は手のひらサイズ。500部限定で発売された
「ことば」という素材

ベイバー僕がいつも学生たちに最初に伝えるのは、言語は政治的なものだということ。社会的で歴史的なものでもある。僕らをとりまく世界は言語によって構成されているけど、政治や商業、資本主義からくる言葉の衰退や腐敗は酷いありさまで、僕たちが普段書いたり話したり考えたりする言葉にまで浸透してくる。

 だからこそ、グラフィックデザイナー、ライター、編集者のような言語を扱う人間にはそれを一掃する責任があると思う。学生たちには、言語に対して批判的かつ懐疑的、そして思慮深くあってほしいと僕は思ってる。言葉って純粋無垢なものじゃないから。それでいてデザイナーとしての遊びや冒険心も失わないでいてほしい。両立させるのはすごく難しいことだけどね。

 

フィル・ベイバー(Philip Baber)

1987年ロンドン生まれ。ブックデザイナー、編集者、出版者。アーティストのスネジャンカ・ミハイロヴァとともに、アムステルダム(オランダ)とソフィア(ブルガリア)を拠点とする出版およびパフォーマンスプロジェクトThe Last Booksを運営する。

樋口歩(ひぐち・あゆみ)

グラフィックデザイナー。オランダ・アムステルダム在住。ヘリット・リートフェルト・アカデミー卒業。2013年からロジャー・ウィレムス(Roma Publications)とハンス・グレメン(Fw:Books)と仕事場をシェアしている。

公開:2021/11/4