和田誠資料寄贈余話
日本を代表するイラストレーター、グラフィックデザイナーの和田誠が2019年に逝去した。戦後をリードしてきたクリエイターたちの仕事をどう未来に引き継ぐのかは、いま大きな課題となっている。多摩美術大学アートアーカイヴセンターに寄贈される和田の資料整理に関わった著者が現場で感じた、アーカイヴに記録しえないものとは。
(トップページ写真:和田誠事務所、写真上:奥祐司)
和田誠事務所は表参道や竹下通りから程よく離れた、落ち着きのある宅地に建っている。私が初めて訪れたのは、和田誠が逝去してから5カ月ほどが経過した2020年の3月のことだった。目的は多摩美術大学八王子キャンパス内にあるアートアーカイヴセンター(AAC)(*1)への事務所資料寄贈に関する打ち合わせに参加するためである。その後、私はおよそ1年にわたって断続的に事務所で作業をすることになるのだが、このエッセイでは実際の移管作業、和田の没後も業務を継続する事務所の様子、デザインとアーカイヴといったトピックについて書いてみたいと思う。
寄贈については和田の生前からすでに大学と事務所は連絡を取り合っていたが、その動きが本格化したのは没後のことである(*2)。かねて和田も含む日本のイラストレーションについて関心を持っていた私は、AACの久保田晃弘所長のはからいもあり、資料の移管作業に参加することになった。輸送はおおよそ4回に分けて実施され、2021年の5月にはあらかたの資料がAACに収められた。版下や原画類、ポスターや装丁本をはじめとする成果物はもちろん、和田誠に関係する多くのものが所蔵品として収められた。あまり予想していなかったが、グッズも思いのほか数が多く驚いた。
デザインの実務に関連する書籍(書体見本帳など)や、図鑑などの資料は制作場所でもあった3階を中心に置かれていたが、それ以外の蔵書については1階を中心にまとめられていた。輸送の大枠での進行は他の職員が担当したので、私はおもに蔵書の希少性を判断したり、研究的な利用価値について助言したりしながら移管する資料を絞り込んでいく作業にあたった。私は書棚に向き合い、図書館にも所蔵がないようなイラストレーターの作品集や自主出版物をピックアップしたり、献本と思わしきものに何か私信などが挟まれていないかなどを確認した。時間の都合などもありすべての蔵書をくまなくチェックできたわけではないが、古い洋書などデザインの受容史的観点からも価値が見出せるようなものを輸送対象とした。
また一連の準備のなかでは、和田の作業机およびその周辺についても中身の確認などが行われた。机周辺は半ばプライベートな領域でもあるため、事務所のスタッフも当然把握はしていない、いわば「聖域」である。勝井三雄も家具をオーダーメイドしたという青島商店(現・青島商店エムプラス)のデザインによるその机には当然ながら画材が中心に収納されていたが、足元に置かれていた段ボールには知人からの自著に対する感想の手紙がまとめられていた。何気なく手に取ると、それは和田の著書『デザイン街路図』(昭文社出版部、1973年)についての亀倉雄策からの私信だった。具体的な内容について触れることは差し控えるが、短いながらも「スピーチの名手」(*3)らしくしっかりとしたオチがつけられていたのが印象的だった。
このようなプライベートな側面もある手紙類や展覧会の芳名帳といった資料もAACに寄贈された。これらの分析は、その時代ごとの業界の人物相関図をより立体的に浮かび上がらせてくれるだろう。事務所資料のなかには和田が新卒で入社したライトパブリシティ時代の同僚たちが描いたと思われる落描きなど、他人の手によるものもあった。そういった「掘り出し物」を発見、移管できたこともAACとしては収穫だった。もっとも、このたびの作業はひとまず資料をAACに移すという側面もあったため、今後の整理の過程で事務所や遺族に返却したほうがよいと判断されるものも出てくるかもしれない。
和田誠事務所は和田が没した後も事務所としての業務を継続し、山本善未さんと米澤ひとみさんの2名のスタッフが中心となり、各種メディアへの対応等を切り盛りしている。私が定期的に訪れるようになった時期はすでにいくつかの雑誌で追悼特集が組まれた後だったが、私たちが資料整理をしている最中にもアンコール表紙の続く『週刊文春』や東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「和田誠展」をはじめ、各種のプロジェクトの打ち合わせや取材でコンスタントに人の出入りがあった。このように事務所は現在進行形で稼働しているにもかかわらず、私たちの相談にも献身的に対応してくださるスタッフの方々には感謝しかない。
私が初めて訪問した日には、まだ和田の作業机が手つかずで残されていた。「いつでも戻ってきてもいいように、そのまま残してあるんです」というような言葉をスタッフのお二人から聞いた瞬間、私のなかでそれまで研究対象としてしか見てこなかった和田が実体化し、戦後のデザインや大衆文化に大きな足跡を残したこの人物の死に私はあらためて深い哀悼の念を抱かざるをえなかった。その作品や私的な品々に囲まれながら在りし日のお話を伺っていると、穏やかながらも芯のある和田の人物像がありありと浮かび上がってくるかのようだ。
寄贈事業に際してAACが和田誠本人と直接やりとりする機会はほとんどないままだったが、事務所訪問やスタッフの方との対話を通じて往年の仕事場の雰囲気を追体験することができたのは僥倖だった。しかし、当然ながら、移送が進むにしたがってかつての環境は解体されていく。本棚は空っぽになり、資料の山はどんどん少なくなる。私が何かをいう立場にないことは承知しているが、事務所の心臓部ともいうべき和田の机の搬出はひとつの区切りを感じさせる出来事だった。その一部始終を山本さんがデジタルカメラで撮影しながら見守っていたのは、とくに印象的だった。移送作業は今年の春頃には完了し、この夏には遺族や事務所スタッフの皆さんにAACに収蔵された寄贈資料の様子をご覧になっていただき、安心してもらうことができた。
このエッセイのタイトルには、「デザインとアーカイヴ」という副題をつけた。しかし、デザインとアーカイヴの相性は必ずしも良いものではない、と私は思っている。なぜならデザインはさまざまな経済的、文化的活動のなかで休むことなく更新され、しかもそれは多人数によって担われる営みだからだ。
後者の事情は結果的にデザインの権利関係を細分化し、アーカイヴの構築や運用を難しくしている。たとえばイラストレーターやフォトグラファーがデザインに提供しているのは基本的には使用に関する権利であって、著作権そのものではない。また写真に関しては、ポートレートの場合モデルにも権利が発生する。もっとも、このたび寄贈された和田誠資料に関しては和田サイドですべての工程を完結させている案件も多いので、まとまってアーカイヴされることのメリットは大きいといえるだろう。
あらためて作業を振り返ると、私は和田の書棚や机をチェックする作業に知的な興奮を覚えると同時に、和田と歴代のスタッフ、多くの関係者によって醸成された事務所の雰囲気に不可逆的な変化をもたらしてしまう「墓堀り」的行為に後ろめたさも感じていた。仕事場とは作業のためだけの空間ではない。和田誠事務所でもスタッフや仲間内が集まって映像の上映会が開かれたり、一緒に飲食することも珍しくなかったという。
こうした時間が蓄積された環境そのものをアーカイヴすることはできない。私がこのような文章を書いてみたのも、和田の生前の様子を残す事務所の様子や移管作業について、自分なりの実感とともにアーカイヴしておきたい、と思ったからである(*4)。今後、戦後のデザイン史やイラストレーション史の研究はますます対象範囲を広げていくと思われる。そのとき目の前に広がる史料群は、誰かの記憶の一部であったことを忘れないようにしたい。
和田誠展
会期:開催中―2021年12月19日[日] 場所:東京オペラシティ アートギャラリー
詳細は公式サイトをご確認ください。
*1
アートアーカイヴセンターは、多摩美術大学に収集・蓄積されてきた芸術資源を統括的に保存・管理・活用していく研究教育拠点として、2018年4月に設立された。https://aac.tamabi.ac.jp/
*2
寄贈の経緯については次の資料が詳しい。久保田晃弘「和田誠さんとAAC」、『和田誠展』ブルーシープ、2021年、p. 518-519
*3
田中一光「編集を終えて」、『亀倉雄策のデザイン』六耀社、1983年、p. 266
*4
「アーカイヴ」を具体的な事物を離れて観念化して使用することには批判がある。たとえば多摩美術大学アートアーカイヴセンター主催のシンポジウム「メディウムとしてのアートアーカイヴ」の第3部「アーカイヴ/コレクションのためのデータベース」(2020年12月5日開催)ではそうしたアーカイヴの定義の問題が話し合われた。本文での表現は、ひとつのレトリックとしてご承知おき願いたい。
塚田優 つかだ・ゆたか
視覚文化研究。2014年、『美術手帖』第15回芸術評論募集に「キャラクターを、見ている。」が次席入選。美術、イラストレーション、アニメーションを中心に各種媒体に寄稿を行う。最近の論文は「雑誌におけるイラストレーションの定着とその特徴についてー1960年代の言説を中心に」『多摩美術研究』第10号、2021年。
公開:2021/10/14
更新:2021/10/26
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