曖昧さの先に:ヨースト・グローテンスの地図制作
地図情報の可視化において世界的に注目されるオランダのグラフィックデザイナー、ヨースト・グローテンス(Joost Grootens)。『Blind maps and Blue dots』はグローテンスが、ライデン大学とハーグ王立芸術アカデミーの共同博士課程において5年かけて取り組んだ研究を、2020年に本の形にまとめたものである。近々一般に向けて刊行予定であるという同書からうかがえるグローテンスのアプローチについて考察する。
参考:
https://www.lars-mueller-publishers.com/blind-maps-and-blue-dots
ヨースト・グローテンスは『Metropolitan World Atlas』で、アトラス(地図帳)のデザイナーとして注目された。同書はGoogle Earthのリリースよりも半年ほど早い、2004年7月、世界101カ所の大都市の情報をまとめた本として出版され、数々のデザイン賞を獲得した。ヨーストの明快なロジックとシステムによる情報デザインは、アトラスを、地図のみならず、複雑な情報の全貌を俯瞰し、観察、分析する分野の本として発展させていく。
Twitter、iPhone、iPad、Instagramなど、今の私たちの生活に空気のように浸透しているサービスやデバイスが、『Metropolitan World Atlas』が刊行された2004年以降のリリースであることを考えると、わずか十数年で社会が大きく様変わりしたことを実感する。今回取り上げる『Blind Maps and Blue Dots』は、まさにこのような社会において、グラフィックデザインに何ができるのかを問う一冊である。ヨーストは本書において、「曖昧さ(ambiguity)」を自らの戦略として提示する。これは明確さを特徴とする彼のデザインを想像すると、一見、意外とも思えるソリューションかもしれない。ヨーストにとって「曖昧であること」とは何なのか。なぜ今「曖昧さ」が必要だと考えるのか。
ヨーストはグラフィックデザイナーとしてはユニークな立ち位置にいる。その一つは、建築デザインからスタートしたデザイナーであることだ。アムステルダムのヘリット・リートフェルト・アカデミーで建築デザインを専攻していたヨーストは、卒業後、建築の仕事に関わるなかで、建築のビジュアライゼーションそしてブックデザインに出会い、方向転換をしてブックデザイナーとしてのキャリアをスタートした。また、2002年からデザインアカデミー・アイントホーフェンで教鞭を執り、2011年からは同校に新設されたインフォメーションデザインの修士課程の学部長を務めるなど、自身のデザイン活動とデザイン教育を横断する活動を続けてきた。
またヨーストのもう一つの特徴は、地図制作(cartography)の分野のなかでも書物という、ある意味クラシックな領域のグラフィックデザインに関わってきたことだ。彼はその教育活動をオランダのみならず国際的に広げる一方、2015年から博士課程を開始し、本書にまとめられることとなる研究に取り組み始めた。その背景には、激しく変化する社会の中で、自身や学生たちがかかわる「グラフィックデザイナー」という専門領域のあり方について抱いた危機感、さらにはその未来について不透明なまま教えることへの良心の呵責があったという。
本書の序章は、機械化による新しいデバイスの登場とデジタル化によるデザインツールの民主化が、どのようにデザイナーのあり方に影響を与えているかについて割かれ、地図制作の分野がテクノロジーの進化の影響を一般的なグラフィックデザインよりも早く、かつ大きく受けたと分析されている。かつては国家など権力を有する者だけが制作しえた地図の世界に、その知識を前提としない「非専門家」が参入し表現が多様化した結果、作り手と使い手の境界が不分明になった。これこそが、彼の研究の前提となる状況である。
タイトルを構成する「blind map」と「blue dot」は、直接的にはGoogle Mapsを表している。「blind map」は直訳すれば「白地図」だが、ここではGoogle Mapsのベースとなる、ユーザーが目的に応じて縮尺を変えるたびにレンダリングし直される地図のことを指している。「blue dot」とは、ユーザーの位置を指し示すMy Location機能で画面の中央に現れる、あの呼吸するように収縮する青い丸のことである。Google Mapsはユーザーの姿を青い点として地図上に投影し、ユーザーの操作の瞬間瞬間に地図を再生成し続ける。地図はユーザーなしでは「blind」、つまり未完成でなにも意味しない。本書のタイトルは、視覚表現におけるユーザーの重要性が増し、制作者とユーザーという二項対立ではもはや視覚表現を語れなくなっていることを、端的に象徴しているのだ。
視覚表現の未来を考えるためには、地図デザインの現在を見ればよい。本書では、そのケーススタディとして、「非専門家」が介入して制作されたデジタルマップの事例を三つ取り上げる。一つは、デジタルの地図として最も大きな市民権を得ているGoogle Maps。二つ目は、フィットネスのトラッキングアプリStrava内で、ランナーたちが自分や他のユーザーの活動を把握するために使う「Strava Global Heatmap」。三つ目は、アムステルダムに住む当時16歳のトーマス・ファン・リンゲ(Thomas van Linge)が、2013年に勃発したシリア内戦の状況を、Microsoft Paintを使って地図化し、Twitterを通じて発信した「The Situation in Syria」である(リンクは2017年2月6日の投稿)。
これらの地図の分析から見えてくるのは、ユーザーが地図の制作者になる権利を得た裏で、巨大テクノロジー企業がユーザーを監視しデータを搾取しているねじれた構造だ。そのような代償を伴った事実が、一見すると「わかりやすく」「見えるようにされた」視覚表現の後ろに、巧妙に「見えなく」させられている。情報の可視化は、多かれ少なかれ生のデータを編集し、コントロールする行為だ。そもそも世界を見ることそのものだって、主観なしには行えない。ではデザイナーが中立的に情報を伝えることなど、はなから不可能なのだろうか。
そういった事実や問いについて、ヨーストは一旦、良いか悪いか、YesかNoかの判断をあえて留保し、「曖昧」なままにしておく。そしてAかBかの判断を超えたところで、起こっていることをより深く観察、理解するための議論を喚起する。事例として挙げられている「The Situation in Syria」はMicrosoft Paintを用いて制作され、視覚表現としては洗練されてはいない。しかし、複数の情報ソースを集めて作られたこの地図は、個々のソースだけでは「見えない」事実を「見えるようにする」場として機能した。そして、SNS上で数多くの他分野の人を巻き込みながら議論の空間を生み出した。
ヨーストもまたそのような「曖昧さ」の余地を残すことで、つねに第三の道に対してドアを開き、視覚表現とデザイナーのあり方に対する新しい未来を探ろうとする。本書では地図制作の実際において「曖昧さ」の余地を残すためにヨーストが用いる視覚表現についても、具体的に解説されている。たとえば、他の色の介入を許さない赤・青・黄の三原色の組み合わせを凡例に用いないようにすることや、地図が完全なものではなく現実を作為的に切り取ったものであることを示唆するために、断ち落としのレイアウトで見せることなどだ。
ひとつの事象に対して複数のビジュアライゼーションを用いるのも、そのひとつである。本書の中で、取り上げられている三つのデジタルマップの原典の地図が示されることはなく、各事例が地表を平面化したいわゆる「地図」の形式でビジュアライズされることもない。その代わり、タイムラインや空間のイラストレーションなど、複数の視覚表現によって地図の「本質」についての可視化が試みられている。つまり、本書自体がヨーストの定義する「曖昧さ」の手法を、そのまま体現する仕様になってもいる。
ヨーストは、いわゆるスタイル上のトレンドからはあえて、あるいは結果的に距離を置いてきたデザイナーである。その謙虚さは、建築畑出身の彼は何十冊と本をデザインしてもなお、自身をグラフィックデザイナーと呼ぶことを躊躇していたということからうかがい知れる。また、いつだったか、彼が「Studio Joost Grootens」というスタジオ名を変更したいと話していたことがあった。デザインを一人でやっているわけではないのに、自分の名前がスタジオ名になっていることに違和感を感じるというのだ。それはまた、デザイナーとして個人名で注目を集めるのではなく、コンテンツの本質を伝えることに重きを置こうとする姿勢の表れでもある。
その一方でヨーストは、デザイナーは「同時代的(comtenporary)」であるべきだ、とたびたび口にしていた。情報のもっとも身近な取得方法がデジタルとなった現代において、グラフィックデザインや書物はいかに同時代的でありうるのか。それは、美しさを愛でられるだけのアートになってしまうのだろうか。本書はそのような問いに対する、ヨーストのひとつの回答でもある。保存しなければ消えていってしまうかもしれないデジタルマップを、あえて本というメディアに定着させた本書は、紙とインクという物質をもってユーザーを流動的なデジタルの日常性から切り離し、読者に内省とより深い理解を促すのである。本書で議論される制作者とユーザーの境界の溶解というテーマは、ヨーストが地図、あるいはアトラスという「ツールとしての本」を作ってきたデザイナーとして、必然的に辿り着いたテーマだったのかもしれない。
今、彼のスタジオから出版される本の奥付を見ると、スタジオ名からはヨーストの個人名が消え「SJG」に変わり、彼自身の名は本に関わった他のデザイナーとともにスタジオ名の後ろに連なっている。デザイナーとして個人名を前面に出さず、曖昧さを活用し、ものごとの本質について他分野の人と議論、協働するためのツールや場を提供する。この奥付の小さな変化は、本書で語られる未来のグラフィックデザイナー像についての、ヨーストのステートメントである気がする。
清水花笑(しみずはなえ)
ビジュアルデザイナー、デザインリサーチャー、サービスデザイナー。デザインアカデミー・アイントホーフェン卒業。2012年から2016年までSJG在籍。
公開:2021/02/08
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