The Graphic Design Review

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sasakishun.tumblr.com

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 どうしてもデザインにこだわりたかった。

『死んでしまう系のぼくらに』を出すとき、デザインをちゃんとこだわって出したいですと編集の熊谷さんに言った。言葉は言葉であり、視覚的な要素が何もない。漫画でもないし絵でもないし、それに小説みたいに設定があるわけでもなく、言葉で風景を描写しているわけでもない。でもデザインにこだわりたかった。それは、視覚的なものが欠けているから、ではない。そこを補うためではない。むしろ補ってはダメで、詩が語らないものを語るデザインではダメで、だからこそ、こだわりたいと思った。詩集はいくつも詩が収録される、だから、そこにもう一編の詩として共に収録されるような、詩として成立するデザインでなければならないと思った。

 いろんなデザイナーさんが候補に挙がったあと、熊谷さんが言った。「新しい人がいいんじゃないかな」。名前が挙がった人たちはみんな素晴らしくて、好きなデザイナーさんたちで、仕事ができるならとてもありがたかった、たくさんの仕事をすでにしていて、本も多く手掛けている。でも、熊谷さんのいうことはとても的を得ていると思った。

 わたしはそのとき、2冊本を出していたけれど、どちらもそんな売れてなかった。てか全然売れてなかった。詩を読むことが習慣になっている層が買ってくれているような(それもありがたいことだが)そんな状態だった。けれど、ネットで詩を書くようになって、予想外なところから感想が届くようになって、詩集も(買ったことないけど)買ってみたいなと言ってくれる人があらわれて、それから作りたくなったのがこの本だ。わたしはわたしを知らない人、詩を知らない人に届く本を作ろうとしている。わたしは、心細いぐらい、その人たちにとって「新しい」存在だった。それが良い意味での新しさかはわたしには全然わからないけれど、でもその「見覚えのなさ」には、見たことのないデザインがきっと合うだろうと思った。

 

 http://sasakishun.tumblr.com

 だから手がかりがこのタンブラーだけのデザイナーに頼んでみようと思ったのだ。

 

 2013年ごろの記事まで辿ってもらえばわかるのだけれど、その頃のこのタンブラーは、今よりもずっと、そのデザイナーが好きで作っている、「仕事」ではなさそうなデザインがほとんどを占めていた。(実際クライアントの表記がとても少ない。仕事で作ったのではない個人のデザインを置く場所だったのではないかと思う。)デザインはめちゃくちゃかっこよいのだが、まじで誰なのかわからない。プロフィールにはgmailアドレスが書いてあるが、多分それぐらいしか情報がなかった。検索してもほとんど何も出てこず、タンブラーを紹介する英語の記事が数件出てくるぐらいだった。謎である。謎だけど頼む。わたしも謎な人間だから。お互い様である。なによりデザインはとにかくいいんだから、デザインを頼む分には何も問題がない、というか、頼むから受けてほしい!と思った。

 

 佐々木さんのデザインは、「見る」ことの快感のようなものに対して思い切りがよく、でも、細部はとても繊細にできていて、その繊細さを辿ろうとするといつまでも時間が経っていってしまう、一瞬の「見る」も、続いていく「見る」も、どちらに対してもとても強いデザインであることが、かっこいいなと思った。(わたしはデザインに詳しいわけではないので、的外れなことを書いてしまってないか心配なのですが……。)

 

「見る」ことの快感って、ある程度方向性が決まっているとわたしは勝手に思っていて、でもそれでも人は「見慣れる」し、見たことがないものじゃないと快感なんてないと思うのです。でも、デザインの面白いところは、まだ誰も座っていないところを探す「椅子取りゲーム」なんかではないということです。新しさは人が手をつけていないところにあるわけではなくて、すでに持っていたはずのものなのに、「見覚えがないぞ、これ」と驚かされるような瞬間こそ、気持ちがいいのだと思います。そういう意味では言葉も似ているかも知れません。みな同じ言葉を用いて、言語を共有しています。誰も使わない言葉を差し出しても響かず、使い古された言葉も響かず、ただ書き手がその言葉の価値や存在そのものを更新してしまうような瞬間、人はその言葉に快感を覚えます。常に「見る」ことをやめない人間たちが、「見る」ことで快感を抱くよう何かを作ることも、これと全く同じなのかも。誰もが知っている色や形を更新していくようにして、生まれていくのがデザインなのかもしれません。

 

 佐々木さんのデザインはそういう意味で新しく、快感のあるものでした。パッと見たときの気持ちの良さもありながら、ジッと線や色を辿るときの、どこがどうなっているのかを、簡単に予想してしまえるものが一つもなく、すべてに佐々木さんの意思と判断が行き渡っていて、ちゃんと「見る」という行為に応えていっていると思います。

 当時見ていたのは

 

 https://sasakishun.tumblr.com/post/35344300539/designsasakishun

 https://sasakishun.tumblr.com/post/70488992234/typography-designsasakishun

 https://sasakishun.tumblr.com/post/72187586988/2014-designsasakishun

 https://sasakishun.tumblr.com/post/85024456945/

 

 とかです。どれもやはりいいですね!

 パッと見たときも綺麗ですけれど、葉っぱのこまかい線をたどっていっても、一つ一つがこちらの予想を裏切っていくというか(いや裏切るとか単純なことではないかも)、簡単に予想などさせない、人の脳が順当に想像するような方向には動かない、ちゃんとした思考の積み重ねが感じられるのが気持ちよいです。「図形」も一目見てかっこいいですが、それぞれどんな色を配置してるのかじっくり見ても一切最初に見たときの「強さ」がぶれない。色の配置を細かく見ても全部ちゃんと驚きがある。たぶん、プロの人とかだと最初からそこまでぱっと見て気づかれるのだと思いますが、わたしはそんなこと到底無理なので、ひたすら長く見て、じわじわじわと凄さを噛み締めています。

 

 とにかくそんなこんなで、人間としては全く知らないしなにもかも謎であるが、デザインはめちゃくちゃいいから、ヨッシャ信用しちゃえ!!!って感じで依頼して、できたのが『死んでしまう系のぼくらに』でした。わたしはいろんな判断を仕事上することがありますが、このときの判断ほど大正解だったものはないと思います。佐々木さんとは長く仕事をすることになりましたし、自分の作るもので色や線をアップデートしていける人と長く仕事をすることは楽しいです。ずっと仕事をしても、佐々木さんは変わっていくし、新しく、そして面白いものが生まれてくるからです。作る行為は、基本1人ですし、ずっとやっていると自分に与えられたケーキは食べ尽くしてしまったのではないか、的な錯覚に陥ることもあるのですが、そうやって限られたものを過去の自分や未来の自分と取り合うようなことが「作る」という行為であるのなら、そもそも、文学もデザインも芸術も2020年にもなって続いているわけがないのです。人間がやるのは未開の地を発見することではなく、豊かな土地や体をアップデートし続けること。生きることはそれだけで新しく、豊かさを生みます。何かが減っていくとか枯れていくとかちゃんちゃらおかしい。いつだって退屈になるのは、作るのをやめたときなのです。

 ということを、おかげで、忘れずにいられているように思います。

 

 佐々木さんは、わたしが2014年に依頼しなくても、そのうち誰かと本を作って、もしくは別のデザイン仕事をして、そうこうしているうちにめちゃくちゃ有名になっていたと思います。でもそれだと、わたしが長く仕事をしてもらうことは難しかったと思うので、「信用しちゃえ!」と思った当時の自分の判断を、大大大正解だったと思うのです。

 JAGDA新人賞おめでとうございます。受賞の連絡が来たとき、全く驚かなかったです。そりゃそうやろ〜でした。でもやはり嬉しいですね!今後もどうぞ、よろしくお願いいたします。

最果タヒ(さいはて・たひ)

1986年生まれ。詩人。2006年、現代詩手帖賞を受賞。2008年、詩集『グッドモーニング』で中原中也賞を受賞。2015年、『死んでしまう系のぼくらに』で現代詩花椿賞を受賞。詩集に『空が分裂する』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』『愛の縫い目はここ』『天国と、とてつもない暇』『恋人たちはせーので光る』。小説に『星か獣になる季節』『十代に共感する奴はみんな嘘つき』、エッセ イ集に『きみの言い訳は最高の芸術』『好きの因数分解』などがある。http://tahi.jp

公開:2020/09/23