「愛すべきいじられ役」
大阪・関西万博ロゴマークへの祈り
2025年日本国際博覧会(以下、大阪・関西万博)のロゴマークが発表された。
ロゴマークを見たとき、挑戦的なビジュアルにとても驚き、その後SNSで、ロゴマークに手を加えた「二次創作」たちが「祭り」[*1]のごとく発表され出したことにさらに驚いた。ちいさな感動すら覚え、興味深く見守っていたのだが、徐々にぼんやりした不安のようなものも感じ始めた。
2025年の万博開幕までのあいだに、このロゴマークが社会にどのように扱われ、受け止められるかはまだわからない。あれこれ評価する段階ではないだろう。ただ、いまこの瞬間の自分の期待とちょっとした不安の奇妙なブレンド具合を、記録として残しておくことに意味があるかもしれないと考え、この文章を書いています。
・「やってくれたな!」
「イベントのロゴマークの発表です」と聞くと、どうしても東京2020オリンピックのロゴマーク取り下げの顛末を思い出してしまう。あれ以来、公的なイベントのロゴマークは安定感ある、あけすけにいえばツッコミどころのない無難なものが増えると思っていた。デザイナーにとっては厳しい時代になりそうだ、と暗澹たる思いがしたものだ。それだけにいま、大阪・関西万博がこの(賛否両論といえど)強さのあるロゴマークに決まったことには、清々しさと「やってくれたな!」という晴れがましい気持ちが湧き起こった。
幾何学的な対称性が薄く、ランダムな生成を思わせる造形はとても現代的だ。瞳を思わせるモチーフは、ひと目で生物的なもの・キャラクター性を想起させる。SNSでは「生理的に怖い」「地球外生命体のようだ」といった違和感から、「可愛いモンスターみたいだ」「インパクトがあって良い」といった好意的な意見まで幅広く飛び交った。事前に行われた意見募集レポートにある出現ワードリスト[*2]を参照すると、「面白い」「インパクト」などに混じって、なんと第2位に「気持ち」、第3位に「悪い」が登場している。
興味深いことにこうしたリアクションの多くが、ロゴマークというよりキャラクターとして捉えた感想のように読める。その証拠に、発表からほどなく「いのち輝く未来社会のデザイン」という万博のテーマから、ロゴマークそのものが「いのちの輝きくん」「コロシテくん 」[*3]などと愛称で呼ばれ始めた。完全にキャラクター扱いである。
それから数時間〜数日のあいだに、可愛らしい表情を加えたイラストや、編み物やキーホルダーなどの手作りグッズを披露する人、そしてロゴマークのバリエーションを生成するプログラムや、ブラウザ上で動作するゲームを発表する人までも現れた。
それらは誰に頼まれるわけでもなく、勝手に作り出された創作意欲の発露たちだ。そう思うと見ているだけで嬉しくなり、ほんとうに尊いものに感じられた。だが、タイムラインを流れていく多様な創作物を眺めるうち、なんだか見てはいけないものを見ているような奇妙な緊張感が胸のうちに湧き起こってきた。いったいこれはなんなのだろう?
・「愛され」か「いじり」か
数日後、落ち着いて思い返したとき、様々な二次創作たちが並ぶ光景は、多くの人に愛されている証拠である反面、言い返してこない相手に対する「いじり」の印象がうっすらと漂っていることに気づいた。与えられた素材をおもちゃにして遊んでいるイメージが、筆者に小さな不安をもたらした原因だったようだ。
二次創作の作者の方々はもちろん、純粋な興味と創作意欲で作られているものと思う。しかし、ロゴマークとキャラクターの中間のような淡い生命感のある存在に対し、これほど多くの人が大胆に手を加えて再発表する構造そのものが、ひとりのクラスメートに対する多数からの「いじり」を見て見ぬ振りをしてただ黙っているときのような、どこか不安でハラハラする気持ちを引き起こしていたのだ。
とはいえ、おもちゃにして遊ばれることも、イベントの象徴としては本望である、という考え方もできる。社会に受け入れられるロゴマークの新しいあり方の、ひとつの答えなのかもしれない。なるほど「いのちの輝きくん」は、メジャーなキャラクターよりもずっと感情移入度が低く、「いじってもかわいそうに見えづらい」存在だ。もっと生物的で、人格が備わったキャラクターであれば、勝手に書き換えて形を変えてしまったとたん、どこか侵襲的・冒涜的な雰囲気が漂ってしまうだろう。
もともとロゴマークとしてデザインされ、抽象度の高い形に抑えられているからこそ、これほど多くの二次創作に晒されても壊された印象が出ないのかもしれない。デザインの強度の証明ともいえる。二次創作は好奇心と愛情の表れだ。祝福の一種として受け入れたい気持ちも強い。筆者はまだ「愛されていて面白い」と「いじりを放置しているようで不安」のあいだを、7:3くらいのバランスで揺れ動いている。
・柔らかなロゴマークの未来を祈る
ひとつのロゴマークが、ネットミーム[*4]と化したのはとても興味深い。しかし同時に、この受け入れられ方が今後の公的イベントロゴマークの評価軸になってしまわないか心配もしている。今回の現象は、「いのちの輝きくん」のインパクトある造形と希有なキャラクター性から生まれた、きわめて特殊な事例に思えるからだ。これほどの「祭り」を意図して起こすのは難しい。
企業や商品のロゴマークは、制作と同時に使用マニュアルが作られることが通例であり、周囲の余白や背景との関係、使用シーンに至るまで細かく規定される。だが公的なイベントにおいて、そうした「硬いロゴマーク」は唯一解ではないだろう。大阪・関西万博のロゴマークは、人々が触りやすい、柔らかなロゴマークの新しい姿を見せてくれるかもしれない。
ブーム的な盛り上がりは消費と表裏一体だ。この原稿を書いているいま(ロゴマーク発表から10日後)、SNS上の二次創作的な投稿は急激に減っている。万博の開幕は5年先だ。いよいよスタートというとき、今回のお祭り騒ぎを「あんなこともあったな」という懐かしいイメージだけで振り返るのは勿体ない。「いのちの輝きくん」は、可愛げのある半・キャラクターとして健やかに育ち、新時代のロゴマークのあり方を見せてほしい。そして同時に、愛すべきいじられ役として消費されることとはまた別の、新しい受容のされ方も模索されていってほしいとも思う。筆者の祈りにも近い願いである。
*1:ネットスラングで、何らかのテーマに合わせて多数のネットユーザが騒ぎ、さまざまな記事や作品を集中して投稿することなどをいう。
*2:https://logo.expo2025.or.jp/img/public_comment_report.pdf[2020-09-14アクセス]
*3:ネット文化独特の露悪趣味的な笑いの表現である。ファンタジー・SF漫画やゲームなどで登場人物が気味の悪いモンスターに「改造」させられた際、「(自分を)殺して」とつぶやくお決まりの表現からきたものであろう。
*4:インターネットを通してコピーないし模倣して拡散される画像や動画、文章などの情報のこと。「お約束」や「ネタ」としての要素が強い。
山本晃士ロバート(やまもと・こうじ・ロバート)
アートディレクター。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。2005年よりユーフラテス所属。近年の活動に、toio™公式タイトル『工作生物 ゲズンロイド』(SIE、2019)の企画・デ ザイン、科学映像『未来の科学者たちへ』シリーズ(NIMS、2013∼)、NHK Eテレ『テキシコー』(2020)映像制作・デザインなど。
公開:2020/09/15
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