The Graphic Design Review

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Karel Martens
”Re-Printed Matter“

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昨年カレル・マルテンスの『Re-Printed Matter』の第四版が出版された。グラフィックデザイナーの作品集としては異例のロングセラーである。

この本には、版を重ねるごとにページ数が増え造本が変わっていく楽しみがある。出版したのは、グラフィックデザイナーであるロジャー・ウィレムスが主催するRoma Publications(オランダ・アムステルダム、以下Roma)。ロジャーは90年代半ばカレルのアシスタントとして働いており、この本の誕生にも立ち合っている。『Re-Printed Matter』の歴史とともに、そんな二人の歩みについても振り返りたいと思う。

前身である『Printed Matter』は、1996年、カレルのA.H.ハイネケン芸術賞受賞記念としてHyphen Press(イギリス・ロンドン)から出版された。カレルはそれまで文庫本の表紙やテレフォンカード、切手といったオランダ人なら誰もが一度は目にしたことがある製品をデザインしてきたが、いわゆるスターデザイナーのような存在ではなかった。この『Printed Matter』によって過去の作品が総括的にまとめられたことを期に、「カレル・マルテンス」というデザイナーの重要性がよりはっきりと人々に認識されることとなった。

 

実は当初、カレルは軽い体裁の冊子のようなものを考えていた。しかしHyphen Pressのロビン・キンロスと、デザイナーのヤープ・ファン・トリーストから、もっと辞典的な本にした方がいいと説得されたのだという。見落とされがちだが、この本のデザインはカレル本人ではなくヤープがメインだ。彼はデザインだけでなく図版集めからキャプションの書き起こしまで編集面でも深く関わっている。

 

よく知られている茶色の表紙は普及版のデザインで、実は関係者向けに100~200部のみ作られた白い表紙の限定版が存在する。その中でも、この本に携わったごく一部の人に向けて、カレルは世界に一冊だけの特別版を作った。扉ページの後に、各人のイニシャルをあしらったオリジナルプリントが挿入されているのだ。当時アシスタントだったロジャーはこの貴重な一冊を今でも大切に持っている。

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初版限定版表紙
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カレルの出世作となったテレフォンカードのプロジェクト
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ロジャーのイニシャルである「R」と「W」が印刷された特別版のページ

『Printed Matter』は評判を呼び、翌年にはすぐに重版がかかった。世界で最も美しい本コンクール金賞を始め国際的なブックデザイン賞を総なめし、カレルの名がオランダ国外にも広く知られるきっかけとなった。2001年には5年分の新規作品を収録した第2版が、2010年には更に9年分を追加した第3版が出版された。ページ数は初版の約1.5倍の208ページまで膨れあがった。

 

この時期における大きな出来事としては、グラフィックデザインのMAコースWerkplaats Typografie(以下WT)の設立があげられる。カレルが発起人の一人となって1998年オランダ・アーネムで始まったこのコースでは、生徒が教官の指導のもとクライアントワークを実践できることが特徴だった。第2~3版に追加されたページにはカレルとWTの生徒の共同クレジットである作品が多い。

 

一方で、自主制作した映像や孫の誕生カード等のプライベートな作品の割合も増えた。一般的に知られる「カレル・マルテンス」像がここで出来上がった印象がある。ちなみに、ロジャーがRomaを始めたのも同じ1998年、アーネムでまだカレルと机を並べていた頃だ。

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世界で最も美しい本コンクール金賞受賞記念の包装紙に包まれた第2版(左)と第3版(右)
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建築雑誌OASEについてのページ。毎号違ったWTの生徒とコラボレーションしている

第3版から9年後、更に内容をアップデートした第4版が企画されたが、残念ながら版元であるHyphen Pressは2017年に出版活動を終了していた。一方でRomaは300を超えるタイトルを出版するまでに成長し、この時までにカレルの本をすでに4冊発行していた。『Printed Matter』がRomaに移行したのは自然な流れで、Hyphen Pressも快諾してくれたそうだ。こうして、タイトルに「Re」がつき280ページとなった第4版『Re-Printed Matter』が満を持して2019年に出版された。

 

今回の表紙はグレーのボール紙でコデックス装。『Printed Matter』の最大の特徴である全ページ袋綴じをやめたのには驚いた。ページが増えコスト高になるからという理由はわかるが、レイアウトにも影響するからだ。この本のレイアウトの面白さはテキストや画像を小口ギリギリに置いている、つまり余白ゼロであることが大きい。袋綴じでなければ断ち落とされる危険があるのでこんなことはできないし、折りが数ミリずれたら台無しだ。印刷・製本技術を知り尽くしたデザイナーだからこそできた愛のある意地悪なデザイン。それを封じられた第4版で、カレルは緊張感はそのままに遊び心を加えた。裁ち落としを避けるため版面を3mmノド側にずらし、小口側に空いた3mmにカラフルな縞のパターンをあしらったのだ。これは近年の仕事の一つであるフランスのビーチ小屋のためにデザインしたカラースキームを応用したもの。小口に現れる縞模様がこの版の新しい魅力になっている。

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第3版と第4版の小口デザインの比較

2019年9月のニューヨーク・アートブックフェアでは、カレルを招いての講演が開催された。Q&Aで、一人の若者から「もしこの本をもう一度作るとしたら、何を変えますか?」という質問があった。するとカレルは躊躇なく「全部白黒にすると思う」と答えたという。カラフルな作風で知られるデザイナーからの意外な答えに観客はざわついた。カレルは続けた。「本を作るということは作品のRe/presentation(再/提示)をすること。オリジナルを「再現」するのではなく、どういう「表現」ができるかに今は興味がある」と。

 

それから1ヶ月後の10月末。ロジャーが仲間と始めたばかりのプロジェクトスペースENTER ENTERでは、『Re-Printed Matter』出版を記念し、カレルのブックデザインを集めた展示が始まろうとしていた。オープニングのスピーチで、ロジャーは恩師であるカレルに対する思いを語った後「実はニューヨークで話していたことが忘れられなくて、実際作ってみたんだけど」と秘密裏に進めていた『Re-Printed Matter』の白黒版を取り出した。500部限定のこのエディションは、いわばロジャーからカレルへのサプライズプレゼント。ページをめくったカレルはすぐに満面の笑みを浮かべ、感謝の意を述べるとロジャーにハグした。師弟として始まった二人の関係性は、心から信頼し合える出版者と著者というパートナーシップに形を変え、これからも続いて行くのだろう。

 

 

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第4版の通常版(上)と白黒版(下)の比較

樋口歩(ひぐち・あゆみ)

グラフィックデザイナー。オランダ・アムステルダム在住。ヘリット・リートフェルト・アカデミー卒業。2013年からロジャー・ウィレムス(Roma Publications)とハンス・グレメン(Fw:Books)と仕事場をシェアしている。