The Graphic Design Review

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iTohen

00/10年代大阪デザインハブの局地的観測
鯵坂兼充(SKKY/iTohen)インタビュー

2025年大阪万博ロゴマークの最終候補作品に関する意見募集が始まった。候補案に関する批評やパブリックコメント制度の是非についてはさておき、万博開催に向けて地域の産業界やデザイナーにも新しい動きが見られると予想される。

 

さて、読者の皆さんにとって大阪とデザインはどう結びつくだろうか。大正から昭和初期にかけての「大大阪」時代から戦後にかけて、大阪、ひろくは関西のグラフィックデザイナーとそのシーンは大きな存在感を示していた。

 

しかし、1970年に開催された前回の大阪万博をひとつの象徴的な頂点とする高度経済成長のなかで大手メディアの東京集中が進み、東京がデザインの最前線にして中心地となった。また、その後のデザイン産業の多様化、細分化のなかで「大阪のデザイン」を特定の傾向やコミュニティによって代表させることも難しくなった。

 

しかし現在、2000年代以降の情報環境の変化はグラフィックデザイナーの活動をひとつの場所から解放し、「地方」もまた東京を頂点とする情報のヒエラルキーから自由になった。デザインと地域の関係性は再定義されつつある。

 

本稿ではデザイナーの鯵坂兼充(SKKY)が運営し、過去20年近くにわたって独自の情報発信を続けてきたブックカフェ&ギャラリーiTohenを取り上げ、かつてのシーンとの連続性ではなく、その地域に潜在する可能性をふまえた「大阪とデザイン」の関係を考えてみたい。

iTohenは「キタ」とよばれる大阪市内北部エリアのはずれにあり、どの駅からも10分以上歩く少し辺鄙な場所にある。近隣の中崎町・中津エリアは今では若者に人気の街になっているが、2003年にオープンしたiTohenはその先駆けだったといって良いだろう。

鯵坂兼充(SKKY/iTohen)インタビュー

鯵坂は1971年鹿児島県川内市 (現:薩摩川内市)出身。高校卒業後、デザインの専門学校に進むため大阪へ。専門学校では銅版画を中心に学び、特待生として卒業した。その後、インテリアデザイン事務所などを経て、母校である大阪総合デザイン専門学校で銅版画やシルクスクリーンを教えることになる。

鯵坂兼充(SKKY/iTohen)インタビュー
鯵坂兼充(あじさか・かねみつ)

美術が好きで、コラージュやアッサンブラージュで作品をつくっていました。それらのアプローチは、さまざまなことを同時に行う現在の活動の仕方にも影響しているかもしれません。グラフィックデザインの入り口も、マルセル・デュシャンやヨーゼフ・ボイスの作品でした。

版画の経験は、初期SKKYの特徴ともいえるリソグラフの多色刷りにも反映されている。現在「レトロ印刷」の名前で知られるJAMが「スピード印刷JAM」の名前で中崎町界隈の顧客を対象にした町の小さな印刷屋だった頃から、無理を言って多色刷りを依頼してきた。

JAMさんは当時、不動産広告などの印刷をしていた町の印刷屋さんだったんです。単色刷りだけを受けていたんですが、僕が版画の感覚で多色刷りを依頼しました。こちらとしてはズレることの面白さも含めてのお願いだったのですが、お店としては版ズレは不良品になるので請け合ってもらえなかったですね。当時お店にいた猫見たさもあり(笑)、足繁く通っている内に、なんとか対応してくれるようになりました。僕らの作った印刷物を見た他のデザイナーから同様の依頼が入るようになり、『レトロ印刷JAM』としてデザイナー向けの事業を立ち上げられたんです。

鯵坂兼充(SKKY/iTohen)インタビュー
須川まきこ展「Lace Queen」(2007.1.31〜2007.2.11)チラシ
鯵坂兼充(SKKY/iTohen)インタビュー
飯島花奈 個展「窓の向こうの海。砂糖味」(2006.2.1〜2006.2.12)チラシ

今や世界的に定着したリソグラフ印刷のカルチャーだが、2000年代半ばからその実験を実践してきたSKKYの貢献は大きい。当時の大阪で活動していた若手デザイナーは皆JAMにお世話になったと言っても過言ではないだろう。

 

同様に、iTohenの形態も大阪~関西的だといえる。ブックカフェやカフェギャラリーは関西で先に火がついたが、ブックカフェ&ギャラリー兼デザイン事務所という形態の採用は早かった。

デザイナーが運営するギャラリーやカフェが一緒になった複合型のお店で言えば、京都にはefish(1999年オープン)がありましたし、大阪にはgraf(2000年オープン)がありました。本とカフェを軸にしたお店でも、calo bookshop & cafeの石川さんがスタッフとして働いていたbook cellar amus(2000年オープン)がありました。なので、2003年にオープンした自分たちが特別早いとは思いませんが、既存の要素をコラージュして出来上がった自分たちなりの新形態とはいえるかもしれません。

デザイナーでありながら、ショップオーナー/スタッフ、アーティストサポート、教員…など超マルチタスクをこなす鯵坂。大阪には、デザインやアートや音楽などのジャンルの壁を超えた交流が多い。そして、複数の仕事を兼業するクリエイターも珍しくない。これは、大阪のものづくりの土壌なのだろうか。あるいは経済的な理由なのだろうか。

環境が大きいと思います。何かのジャンルに依存することに恐怖と言うか、危険を感じることに長けた人が多いと言いますか。私の場合は、名前に『兼ねる』がついているので、とことん自分の名前(運命と言い切ります)に付き合おうと思っているうちにこうなってしまった……というのが現状です。私は、元来不器用だと思っていました。と言うのも幼少期に利き腕の指を切断したのですね。このことは長年にわたって私に暗い影を落としていました。ところが18歳で上阪して以来、道具を使っての作業が大変器用であることに驚きを持って気付きました。それもあって『まぁ、繰り返すうちになんとかなるやろ』と思い、超マルチタスクと思われるようになったのかも知れません。簡単に言うと『気が多い』と言うか『欲張り』と言いますか(笑)

iTohenの名前は、デザイン活動の屋号である「SKKY」からのしりとり(すかい→いとへん)で生まれたというが、繊維(=糸)の街だった大阪らしい名前であり、様々な活動と人を編む彼の活動を象徴している。大阪にはiTohenを軸としたコミュニティ――特にイラストレーターやアーティストとの——があるが、その中心ではギャラリーが機能している。社会に出て創作活動を止めてしまう学生・若い人が多いという現状を見て、発表のための場づくりとしてiTohenを始めたとのことだが、どのように場の設計を行ったのだろうか。

他人同士が適度な距離で「知り合える」場所にしたいと思いそのような設計にしました。「袖振り合うも多生の縁」そんな事ができる場所を作りたかったのです。「ギャラリー」にはなんだか敷居が高く感じられて行ったことはないけど、喫茶店や本屋に行ったことがあるという人は多い。誰もが「入っても良いのかな?」と思ってもらえるようにしたくて今の形になりました。開店以来、一度も改装をしていません。念入りに計画したので。改装はゴミを産むので避けたいと当初から考えていました。そして、美大などで専門の学習を受けていない人たちにも「良い表現と言うのはあるのだ!」と言いたかったのかも知れません。要は「アウトサイド」に居る自分を肯定したかった……ということになります。

鯵坂兼充(SKKY/iTohen)インタビュー
ギャラリースペース。写真は筆者が企画に参加したiTohen×OOO 共同企画展「PERSONAL CIRCLES」(2009.11.4〜2009.11.15)の展示風景

いわゆる「身内ノリ」に陥らないための場の空気の設計には注意したという。

最初は専門学校の学生が主に利用していたのか? いえ、先生と元生徒では距離が近すぎると言いますか。「何だか身内で盛り上がってるな、あそこ」という雰囲気が出ないように気をつけていた分、ある意味では彼女彼らに冷たく接したかも知れません。そんな距離の近い人々が展示を積極的にしてくれるようになったのは、開店して5、6年が過ぎた頃でした。

鯵坂にはデザイナーとしてはもちろん、展覧会のインストーラーや自ら出版を手掛けたり、長期間にわたるコラボレーションを行っている作家が多い。

佐藤貢と言う人物の登場が、ギャラリー独自のカラーを作る一つの機会になったと思います。彼は私と同じ1971年生まれ。その同期の感覚も共有できたことも大きいかと思います。男性だろうが女性だろうが「ケンカ」できる相手に出会うと私は燃えます(笑)。もちろん創造的な活動を営む上での話ですが。言ったら言い返す。そんなタフな人は対話を重ねるたびに距離が近づきます。人間同士のやり取りなので、永くお付き合いできる人とは必然的にコラボレーションと言う形に発展しているのではないでしょうか。

 私のデザイナーとしての基本姿勢としていつも考えていることは『無色透明』であることです。その理想を持ち、その人の色を引き出すことに熱中しているつもりです。結果、外から俯瞰したとき、ある種の独特なカラーを感じられるのかと思います。

00年代~10年代初頭には、フリーペーパーのようなアナログ媒体や、オルタナティブなスペース・イベントが多く存在していたが、スマートフォンが普及して以来、リアルな物や場の存在感が弱くなった印象がある。iTohenの場やSKKYのデザインアプローチにも変化はあったのだろうか。

開店当初に比べると、店頭に置いてあるDMやチラシを熱心に持って帰る光景を見ることが随分減りました。サッと携帯で写真を撮るほうが楽ですもんね。ただ、この状況に物足りなさを感じているのは確かです。紙には紙の、印刷には印刷の良さが当然ありますよね。インクの匂いだってすると思います。私は、この匂いが小さい頃から大好きです。「触覚」からも得る情報がたくさんあると思うのです。これはデジタルではいつまで経っても追いつけないのではないしょうか。ですが、これだけ多くの方が高級なデバイスを当たり前のように自前で持つようになった今、果たして印刷の意味があるだろうか…と考えているのも事実です。紙も資源なので無理にデザインして印刷しなくても良いのではないかとも考えています……と言っておきながら、デジタルから得た情報は「忘れやすい」なぁと痛感しています。傷を残さないといいますか。

鯵坂兼充(SKKY/iTohen)インタビュー
入り口レジ前のフライヤー置き場

15年以上大阪で活動してきて、大阪のグラフィックデザインシーンについてはどのように見てきたのだろうか。

デザイン事務所で下積みを経ていない状況でいきなり始めてしまったので、「アウトサイド」に位置するのだと感じています。大阪に住んでいる方が長くなったとはいえ、鹿児島県出身なので、いつも輪の外にいる気持ちがしています。どこの団体にも所属していませんし。しかし、孤立を感じているというわけでもなく、心地の良い孤独を楽しんでいるのだと思います。とてもマイペースなのかも知れません。

大阪にいながらにして「アウトサイド」な視点から見たときに、「大阪のデザイン」とは何になるのだろうか。

「大阪のデザイン」と言われて真っ先に思い浮かぶ方は、いまだに早川良雄さんの仕事です。どの仕事も洗練されていますが、ふんわり「出汁」が薫ると言いますか。横尾忠則さんも東京での生活が長いとは言え、やはり関西出身の方の仕事だなぁと感じています。私の記憶をたどると、上阪した当時の心斎橋=ミナミの持つ場の空気が鮮烈でした。鹿児島では見たことがない景色。総体的に「カラフル」だと思っています。と同時に相反する「泥臭さ」を感じるのも、私にとっては魅力だと感じているのかも知れません。

 同世代、下の世代にもたくさん影響を受けています。私よりも断然「上手い!」と思える方が多いです。謙遜でも何でもなく。ただ、アートに興味を持っておられるデザイナーが少ないなぁと感じます。もっとアートやアーティストと関係性を築いていただけたらとは思っています。そうすることによって、仕事に『奥行き』が出るのではないだろうか……とも思っています。

20年弱の活動のなかで、大阪のデザイナーや学生の変化はどのように捉えているのだろうか。

みな一様にセンスよくまとめ上げる能力に長けているなと思います。同時に「壊す」ことに恐れと面倒さを感じている若い方が増えた気がします。「こねくり回した挙げ句の果て」を感じる機会が減ったと言いますか。これは自戒の意味も込めての意見なのですが、やはり「破壊と再構築」は、独自の美学を生む上で欠かせない手法だと思います。学生の間は、ぜひともその行為を体験してほしいなぁ……と言うようになったのがオジサンになった証拠ですね(笑)。

 現役のプロの方とはあまり交流がないので、気軽に声を掛けてもらえるよう努力したいですね。色んな意見を取り入れて「脳内多様性」を広げたい欲もいまだにありますので。自分では精いっぱい開いているつもりなのですが、もしかすると難しく感じられるのかも知れません。

iTohenのギャラリースペースの裏でデザイン事務所であるSKKYは活動している。デザインをしながらギャラリーの案内をし、カフェスタッフとして調理や洗い物をする。本を買う客がいれば、レジも担当する。このような濃密な環境のなかから、Su-の角谷慶やnagi-pressの米須清成などのデザイナーが巣立っている。

彼らは彼らで独特。共に働いた期間がありますが、特に学校のような指導をしたことがないので(私の影響については)何とも言えません。実は学校の講師をしていた時代も同じように接していたつもりです。各個人の奥の奥の方に眠っている、「おはようボタン」をどのタイミングで押すのかについては、心を砕いていたように思います。

長い活動のなかで、自ら“SKKY/iTohenらしい”デザインとは何になるのだろうか。2点、作品を紹介してもらった。

佐藤貢さんの、iTohenでの初の個展の際に作ったチラシです。リソグラフ印刷で、彼から丹念に話を聞いた上で作ったので、先述のように「無色透明」な立ち位置で仕事ができたと思えるものです。

鯵坂兼充(SKKY/iTohen)インタビュー

もうひとつはNPO法人アーツ・プロジェクトとの協働の仕事で担当したシンボルマーク。担当のアート・ディレクターである森合音さんとの仕事でした。ロゴタイプは、クライアントの「四国こどもとおとなの医療センター」のある四国でデザイナーをされている藤本孝明さん(如月舎主宰)にお願いしました。どうも説明的なデザインが苦手な私にとって、それを払拭してくれた仕事になります。この仕事はある意味、「自己の概念の崩壊」がありました。そして再構築して出来上がったもの。答えていて思い出しましたが、「こうしたい!」と言うより「あ、こうなったんや!」というものに転がるほうを、私は望んでいるように思います。

鯵坂兼充(SKKY/iTohen)インタビュー

2003年のオープンから世の中の環境は大きく変わり、前述した同時期に開業したショップの多くは閉店あるいは業態変更を強いられた。そのなかでもiTohenはぶれることなく、同じ場所に同じように開いている。取材時も近隣の花屋さんfor-botanical とiTohenスタッフをしながらイラストレーターとして活躍するミヤザキ、そしてiTohen同様グラフィックデザイナーが運営するギャラリーhitotoのメンバーであり写真家の大岡由和による、iTohenならではの関係性が編み込まれた展覧会が開かれていた。最後に、流行や時世にとらわれないiTohenという場は2023年で20年を迎える。最後にその活動とデザイナーとしてのこれからを、どう考えているのか聞いた。

鯵坂兼充(SKKY/iTohen)インタビュー
大岡由和 ・ミヤザキ ・for-botanical 「8月のピクニック」(2020.8.1〜2020.8.24)

屋号登記し一人で始めたデザイン事務所は、2023年で22年になります。iTohenを開業して20年に。さあ、どうでしょう。。わかりませんと言うのが正直な意見です。しかし、理想は、自活できる程度の畑を持ち、なるべく電気依存しない暮らし方を得て、小さくとも確かに喜びを感じれる生活を獲得したいという目標は掲げています。社会からはみ出した人=アウトサイドの人たちが気軽に集える寺子屋的な空間を持ちたいと、20代後半から考え続けてきました。芸術に触れることは、私にとっての思い込みを常に壊してくれる機会でもあるので、その分野とは一生涯付き合いたいと願っています。デザインの仕事に関しては、人のお役に立てるようであれば、ありがたく引き受けたい。そんな気持ちでいます。

後藤哲也(ごとう・てつや)

デザイナー/キュレーター/エディター。福岡出身大阪在住。近畿大学文芸学部准教授/大阪芸術大学デザイン学科客員教授。著書に『アイデア別冊 Yellow Pages』、近年の展覧会に「アイデンティティのキキ」「FIKRA GRAPHIC DESIGN BIENNIAL 01」などがある。