The Graphic Design Review

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SPINE vol.3

世界のデザイナーの本棚から
SPINE vol.3 Salem Al-Qassimi

デザイナーの本棚から勝手に文脈を紡ぎ出す連載コラム。第3回は、アラブ首長国連邦(UAE)を拠点に活動するFikra Design Studioの設立者Salem Al-Qassimi(サレム・アル=カシミ)の本棚を紹介します。

 

バブル経済を象徴する都市として紹介される中東の都市ドバイから、車で20分程度の距離にあるUAE第三の都市シャルジャ。アート・ビエンナーレなども開かれる、ドバイとは対照的な静かな港町です。ここを拠点にUAEのみならず中東全体の文化生産のためのグラフィックデザインを行っているのがFikra。2006年にUAEで最初の実験的で文化的なコンテンツを扱うバイリンガル・デザインスタジオとして立ち上がり、以降、コワーキングスペースとギャラリー、そしてカフェを兼ねたFikra Campusなどを併設したグラフィックデザインを考えるための場所として、Fikraを拡張させていきました。

 

親米国UAEでは、多くの人々が流暢な英語を話し、街にも欧米の商品が溢れています。サレム自身も、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインで学び、ロンドンでインターンを経験するなど、欧米のデザインがその軸にあります。UAEのデザイン教育は、アメリカの高等教育をベースにした教育機関で学ばれることがほとんど。同時に、グラフィックデザインへの社会の理解は低いと言います。その状況のなかで彼は、中東のデザインの歴史を教育にしっかりと組み込み、グラフィックデザイナーという職能を社会に認知してもらうため、2018年には中東地域初となるグラフィックデザイン・ビエンナーレFIKRA GRAPHIC DESIGN BIENNIAL 01: Ministry of Graphic Designを主催するなど、若くしてUAEならびに中東のデザインシーンのための啓発活動を行っています。

 

日本からはなかなか想像しにくい中東のデザインシーンですが、中東のデザイナーは互いにつながっていると言います。なかでもUAEとレバノン、エジプト、ヨルダンがデザイン的なハブ。これらの内、UAEとヨルダンを訪れ、それぞれの土地でデザイナーを取材した『アイデア』編集長の西まどかさんが、彼のデザインについて本棚から3冊ピックアップして読み解きます。

SPINE 03

デザインスタジオ:Fikra Design Studio(アラブ首長国連邦・シャルジャ)

レビュアー:西まどか(アイデア編集部)

2018年11月、UAEの第三の首長国シャルジャで、中東初となるグラフィックデザイン・ビエンナーレ「FIKRA GRAPHIC DESIGN BIENNIAL 01: Ministry of Graphic Design(以下、FGDB)」が開催された。今回紹介するのは、FGDBを主催したデザインスタジオ「Fikra Design Studio(以下、Fikra)」の代表であり、シャルジャを拠点に活動するグラフィックデザイナー、Salem Al-Qassimi(サレム・アル=カシミ)の本棚だ。「アイデア」誌でのFGDB特集(No. 386、特集「アラブ首長国連邦“グラフィックデザイン省”をめぐる61のキーワード」)の取材にあたり筆者もシャルジャを訪れたが、残念ながらその時にはこの本棚を見ることはなかった(コロナ禍のUAEでも外出自粛が続いていたことから、本記事では自宅本棚の写真を送ってもらった)。かわりに、Fikraのスタジオに併設されたコワーキングスペースのライブラリーを訪ねていたので、前置きとしてそちらの本棚のことを紹介しておきたい。

SPINE vol.3 Salem Al-Qassimi
SPINE vol.3 Salem Al-Qassimi
FIKRA内コワーキングスペースに併設されたライブラリー

壁面に設置されたスタイリッシュな本棚には、デザイン、タイポグラフィ、建築、アート、雑誌・ジャーナルなど、ここまでの2回のレビューにも登場した欧米圏のデザイン書を中心に、蔵書数はそう多くはないものの、グローバルな視点の選書が並べられていた。街中ではデザインやアートの専門書を扱うような書店をほとんど見かけなかったことからすると、これだけまとまった蔵書に出会える場は貴重だろう。北欧モダン調のインテリアやカフェテリア、リソグラフのポスターやZINEなどが展示販売されるギャラリースペースなど、過去に取材に訪れたヨーロッパやアジアのスタジオでも見たことのある景色からは、デザインのグローバリズムが中東圏にも及んでいることだけでなく、グローバル化による定型が、本棚のみならず、デザインスタジオのインテリアや運営形態にも現れていることに気づかされた。

 

グローバリズムというキーワードはすでにデザインの分野でも使い古された言葉かもしれないが、それでも、UAEのデザインシーンを説明するにあたっては欠かすことができない。というのも、1971年にイギリスの保護領から独立するかたちで建国されたUAEは、現在でも人口の約8割が外国人と言われるほど、外国人労働力に依存する移民大国だ。なかでも顕著なのがドバイだが、砂漠の真ん中に現れた経済・観光の拠点は、近年デザインやアートの分野でもさまざまな人材を招き入れ、中東の文化拠点として存在感を増している。サレムの本棚(右側上段)にもバックナンバーが並べられている「Slanted」誌のドバイ特集号では、ドバイを拠点とするさまざまな出自のデザイナーたちが登場し、いまドバイで活動することのリアリティが伝えられていて面白い。

 

Slanted #32 Dubai

「Slanted」は2014年に設立された同名出版社が発行するデザインとタイポグラフィの専門誌。ドイツ人デザイナーのLars HarmsenとJulia Kahlのふたりが、各号で特集する国や地域に滞在しながら、現地のデザイナーやタイポグラファ、デザイン関係者のもとを訪れ取材を行い、年2回のペースで刊行を続けている。紙媒体と並行してウェブサイトでのインタビュー動画の公開なども行っており、世界のデザイナーをアーカイブする貴重なプラットフォームとなっている。

 

一方、Fikraが拠点とするシャルジャには隣接するドバイほどの新興的な雰囲気はなく、街には日干しレンガ造りの古い建物や、スパイスや伝統衣装を扱うマーケットなども残されている。日本では現代アートを扱うシャルジャ・ビエンナーレが有名だが、筆者の滞在期間中には、FGDBの会場の近隣でアートブック・フェアやカリグラフィ関連の展示が行われるなど、新旧のアートやカルチャーに接続できるイベントが小規模ながら開催されていた。しかし、デザイン教育においてはいまだ欧米型の教育システムの輸入に頼るところが大きく、グラフィックデザインを学べる教育機関も、シャルジャ・アメリカン大学(AUS)ニューヨーク大学アブダビ校など、英語教育をベースとする場に限られる。サレムもこれらの大学でアラビックと英語によるバイリンガルのタイポグラフィ教育に携わった経験をもっており、本棚にもFikraのライブラリーでは目立たなかったアラビック・タイポグラフィの教本やマルチスクリプト(多言語タイポグラフィ)に関連する蔵書が並んでいる。近年、彼のように欧米への留学経験をもつアラブ人デザイナーたちが母国に戻り教育に携わりはじめており、アラビックと英語というふたつの世界が共存したグラフィックも生まれはじめている。カタログが数冊並べられているタイポグラフィ関連の展覧会も、そうした背景から企画されたものだろう(下段右側)。

 

Nomadic Traces: Journeys of Arabian Scripts

アブダビのアート・デザインセンターであるWarehouse421と、アラブ世界の現代的なデザインに焦点を当てる研究プロジェクトを行うオランダのKhatt財団により、2019年に開催された展覧会「Nomadic Traces(遊牧の痕跡)」のカタログ。キュレーターを務めたのはFGDBでもアラビア語のタイポグラフィに関連した展示やワークショップを行ったフダ・スミッツハウゼン・アビ=ファレス(Huda Smitshuijzen AbiFarès)で、過去の文明や現在の文化におけるアイデンティティを定義するうえで文字が果たした役割や、環境により移行・変容する筆記という行為の性質について考察した展覧会。

 

HUNDRED BEST ARABIC POSTERS COMPETITION ROUND 2

エジプト、カイロにあるカイロ・ドイツ大学(GUC)で開催される学生向けのポスターコンペティション「THE HUNDRED BEST ARABIC POSTERS COMPETITION」の第2回目(2018年)のカタログ。サレムの名前も審査員のひとりとして並んでいるが、ほかにも、レバノン、ヨルダン、チュニジアを拠点に国際的に活躍するアラブ人デザイナーたちが審査に参加しており、カタログには100点のポスター作品とともに審査員各位へのインタビューも収録されている。伝統的にカリグラフィが盛んなエジプトや、同じく地中海に面するレバノンは中東のデザインシーンを牽引するハブ的な役割を担ってきたが、近年ではヨルダンやチュニジアにもインディペンデントなデザインスタジオが誕生している。

 

アジアや他の中東諸国のデザイナーと比べれば、英語を共用語とするUAEのデザイナーたちの西洋文化との精神的な距離感は近いだろう。しかし、冒頭で紹介したFikraのライブラリーや、民族衣装に身を包みながらも、よく見ると足元はデニムにNIKEのスニーカというサレムの出で立ちが象徴するように、デザインの手法や教育についても、西洋的な定型から良い意味で外れ、ローカライズしていくような実践はまだまだ少ないのかもしれない。ふたつの異なる言語世界がデザインのうえで今後どのようにつながれていくのか、和文タイポグラフィのこれからを考えていくうえでも、中東のデザインシーンはますます面白い存在になっていくと思っている。

 

 

西まどか(にし・まどか)

編集者。誠文堂新光社アイデア編集部にて「アイデア」およびデザイン書の編集を担当。2018年より編集長。   https://www.seibundo-shinkosha.net