アートブック制作のABC
グラフィックデザイン科での出会い
──そもそも二人の出会いはいつだったのでしょうか?
ジュリア:リートフェルト・アカデミー(オランダ・アムステルダム)のベーシック・イヤーに在籍していたときです。別々のクラスだったけど、その後二人ともグラフィックデザイン科に進むことになって。
ウタ:私はすでに、ドイツ・ドルトムントの学校で写真を学んでいて、同じ勉強を繰り返したくはなかったのでリートフェルトではグラフィックデザイン科に行きました。
ジュリア:実は当時ウタに憧れていました。彼女はクラスの中で特別な存在でした。グラフィックデザインが二番目の専攻ということもあって、課題に対する答え方がすごく自由だし聡明で、どんなメディアにも柔軟に対応していました。例えば活版工房で組版する課題が与えられたとき、「グラフィックデザイナーになろう」という気負いのある他の生徒に対して、彼女の取り組み方は全く違っていたと記憶しています。イメージ、言語、テキストを研究する方法として、ウタが意識的にグラフィックデザインを勉強していることにいつも感心していました。
ウタ:そういう意味では私も周りのクラスメイトたちが羨ましかったです。グラフィックデザインをやっている人たちに囲まれているのが好きでした。彼らは与えられた状況に秩序をもたらしたり、問題に対する問題提起をしたり、リサーチの対象が重要であって自分自身のことはあまり関係ない。そんな頭のいい子がグラフィックデザイン科に進むように思ったので「よし、私も行ってどんなもんか見てみよう」という感じでした。
ジュリア:当時、クラスにはなんとなく共通の興味を持つ生徒たちのグループのようなものがありました。ウタと私と数人のクラスメイトは「言語(Language)」に興味があって。
ウタ:それと「表現/再現(Representation)」「翻訳(Translation)」とか……
ジュリア:「秩序/整列(Ordering)」「構造(Structure)」も。
ウタ:私たちの作品にはなぜかある種の共通点が見られて、いつもお互いの作品を追いかけ合っているような感じでした。
ジュリア:今振り返るとどれだけ影響し合ってたんだろうって思います(笑)
──お二人のコラボレーション方法について聞かせてください。
ウタ:最初に言っておきたいのは、私たちのコラボレーションはデザインや編集のもっと前から始まっているということです。どんな写真を制作するのかとか、それ以前のリサーチ段階にすらジュリアは関わっています。
ジュリア:アーティストによっては、自分の作品をただデザイナーに渡して、何が起きるのかを見る人もいますよね。その真逆にいるのがウタなんです。もちろんイメージを制作したのはウタで、これは彼女の作品ですが、私も作品の編集や構築など様々なレベルで関与しています。だから、どちらが何の仕事をしたかを言うのはすごく難しいんです。普段あまりないことです。
ウタ:作品の作り方や物事の考え方の形成期を共に過ごしたからでしょうか。私たちはその後も、言語に対する興味といった共通項が並行して発展し、お互いに影響し合ってきました。『A NOT B』と『AS IF』は本自体が作品であるべく作られたものです。本に載せることを想定して写真を制作しています。ギャラリーでの展示は二次的な反復です。だから、ジュリアとはある意味一緒に作品を作っているともいえるんです。
他人に説明するときに言うのは「市場に買い出しに行くとする。ある程度買うと『これで何を料理しようか』と考えることになる。その段階でジュリアを巻き込む感じ」だと。一緒にメニューを探したり、あれもできる、これもできるって試してみる。そして「じゃあ今夜はイタリアンではなくインドネシア料理を作ろう!」と決めると、すでに材料がいっぱいあるはずなのにまだ足りないものが出てくる。つまり、今持っているものでなんとなく骨格を作り、そこにできた隙間を埋めていくというか。だから並行して作業ができるんです。彼女がレイアウトを作っている間に、私が足りないイメージを作れる。……ジュリア、この喩え合ってるかな?
ジュリア:本当にそう!もちろん私がアムステルダムに行くときには毎回会って話をしてきたけど、必ずしも作業をしているわけではなく、継続的な対話をしているような感じでした。チューリッヒやベルリンでもそんなセッションがあり、何日か連続で集中的に一緒に作業することもありました。そうすると必ず進展があるんです。
テキストとイメージの交差的読解
──この本におけるテキストとイメージの関係性は特殊ですよね。写真集においてテキストはタイトルやキャプションとして扱われることが多いですが、この場合は何というか……上手い言葉が見つかりません。実は私、初見ではすぐに関係性が理解できなかったんです。でも半分くらい読み進んだとき「どうやら特定の位置にテキストページが挿入されているぞ」と気づいて。テキストに振られた番号を頼りにページを行ったり来たりするうちに理解できました。その学びの体験も興味深かったです。
ジュリア:このレイアウトは『A NOT B』のときに開発しました。イメージはすべて(8か)16ページの章立てとして順番に並んでいます。各章の終わりに見開きページでテキストが挟み込まれ、そのテキストには番号が振られています。つまり、番号からそれぞれのイメージにテキストを割り当てることができるんです。しかしながら、テキストをイメージと直接見えるように組み合わせなかったのには訳があります。両者にこのような距離があると、文字通り間に「時間」あるいは「空間」があることになります。これは「このイメージはこんなふうに読むことができるよ」という提案なんです。柔軟かつ意図的なテキストとイメージの組み合わせが可能であるという。
ウタ:私たちはクロスリーディング(交差的読解)やクロスポリネーション(他家受粉)にとても興味があります。私たちが提案する組み合わせは一つで、読者は正解のテキストとイメージを見つけるのに苦労するでしょうが、他にも同じように面白い組み合わせはあるんです。だから、イメージの横にキャプションを付けるのとはちょっと違うんです。イメージ“A”とテキスト“B”が、新しい何かである“C”を作るという感じです。
ジュリア:そういう意味では正解も不正解もない。それに、テキストのページはそれ自体がドラマツルギーを持っているのが面白いですね。イメージは章ごとにある種のグループというかカテゴリーに分けられているので、そのテーマがテキストにも表現されていると思います。
ジュリア:一作目の『A NOT B』ではイメージ制作の期間が長く、後から「イメージだけの本にしようか?それともテキストも足そうか?」と話し合いました。このテキスト集はウタが何年もかけてまとめた素晴らしいコレクションだったので、内容を充実させるためにもぜひ入れたいということになり、このレイアウトを開発したんです。
ウタ:内容を理解してもらうためにもテキストが必要だと思ったんです。そうでないとただの小綺麗なイメージだともとられかねないので。
ジュリア:このレイアウトは『A NOT B』でとてもうまく機能したので、二作目の『AS IF』を制作する際はこの「ホイール」を再発明する必要がないと考えました。むしろこれが二作目の作業方法となり、内容を練り上げるのに本当に役に立ちました。
「物」が「商品」になる瞬間
──『AS IF』では前作にはなかった広告的な写真表現が取り入れられています。その意図は何なのでしょうか?
ウタ:裏話になりますが、前作『A NOT B』を作ったころはまだ子どもが小さかったんです。台所で遊ぶときに、身の回りの物をまるで劇の登場人物のように演出して世界の仕組みを説明したりしていました。そこには遊び心や無邪気さがありました。その10年後、私には10代の子どもが二人います。物事はもっと複雑になり、物は「商品」となりました。子どもたちも小さな「顧客」や「消費者」になっています。私は物が商品になりうるということにとても興味を持ったんです。物はいつ「私を買って!」「私を所有して!」と言うのでしょうか。『A NOT B』には人が小学生だったころを思い出させるような可愛らしさがありますが、『AS IF』にそれはもうありません。如才なさすぎて痛々しいかもしれませんね。
──『AS IF』ではマットなアート紙に加え、ところどころ光沢紙も使っていますよね。
ウタ:それはあるイメージを分類したり別の方法で解釈するための方法です。同じイメージでもアート紙に印刷されるのと新聞紙に印刷されるのでは意味合いが違ってきますよね。光沢紙に印刷された広告的なイメージを入れて、シークエンスを混乱させる遊びをしているようなものです。
ジュリア:「このイメージは光沢紙に入れるべきかアート紙に入れるべきか」という議論は常にありました。両方のカテゴリーに該当するイメージもあるんです。光沢紙に印刷することで、イメージの格を上げたり再文脈化することもできます。
ウタ:そうすると、身近な物が「商品」のクラスに分類されうるわけです。
ジュリア:ウタは『AS IF』を通して、様々なレベルでこのことについて研究していたといえるでしょう。この場合は紙の違いが物のオーラを変化させる。別の場合は鉛筆に付いた水滴が物に別のオーラを与えている。ページ上にどんな大きさで物をレイアウトするかによってモニュメンタリティ(壮大さ/記念性)が変わる。私たちは物の見え方を操作するいろんな方法を試してきました。
ウタ:もしテーブルが劇場で物を役者とするなら、『AS IF』で新しいのは「歌姫」のような人たちが登場することです。物が美化されて「商品」となっている。彼らはただ演じるだけでなくある種のオーラを放っています。
ジュリア:テキストのページは章の終わりに配置されていますが、光沢紙に印刷された4ページの「広告」部分は章の途中に挿入されています。
ウタ:広告ってちょっと腹立たしいものじゃないですか。YouTubeのプレイリストを見ていると必ず間に入ってきたり。
ジュリア:表紙の反射するミラーペーパーもまた「表層」の考えを参照しています。それから反射によって自分の姿を省みるという意図もあります。実は挿入される「広告」部分も同じミラーペーパーに印刷すべきかどうか長い議論があったんですよ。結局予算的に無理だし大袈裟すぎるだろうということで、表紙のちょっとだけ見える部分に使われました。でもそのアイデアは見返し紙にうまく反映されました。ウタが本棚をサイケデリックに表現したイメージを撮影してくれて。本当に完璧です。円環が閉じた気がしました。
──最後はこの質問で締めさせてください。ずばり、このシリーズは続きますか?
ジュリア:もちろん!
ウタ:ぜひやりたいと思ってます!ただ、子どもたちの年齢に沿って、幼児から子ども、ティーンエイジャー……と進むのかどうかはまだ考え中です。
ジュリア:私たちも歳をとるし、子どもたちも歳をとる。時代も移り変わっていくし……どうなるのか自分自身とても楽しみです。私たち、きっと最後の本は老人ホームで作るんじゃないかな?(笑)
ウタ:ロッキングチェアに座って私の隣にいるジュリアのホログラムが見えるわ(笑)
ジュリア・ボーン (Julia Born)
スイス生まれ、チューリッヒを拠点に活動するグラフィックデザイナー。2000年にアムステルダムのGerrit Rietveld Academyを卒業後、スイス、アムステルダム、ベルリンにおいて様々な文化的なプロジェクトに参加する傍ら、数々の国際的なアートやデザインの研究機関で客員教授を務めている。2021年Swiss Grand Award for Designを受賞。
ウタ・アイゼンライヒ (Uta Eisenreich)
ドイツ生まれ、アムステルダムを拠点に活動する、写真と演劇を組み合わせたアーティスト・ビジュアル・リサーチャー。ドイツで哲学と写真を学んだ後、Gerrit Rietveld Academyに入学しグラフィックデザインを学び2000年に卒業した。カメラを通したパフォーマンスやミニチュアの劇場を制作している。写真、ビデオ、インスタレーション、パフォーマンスだけでなく、アナロジーや表象に関する書籍も出版している。『A NOT B』(2010年)『AS IF』(2021年)は、The Most Beautiful Swiss Booksをはじめ数々の国際的なブックデザイン賞を受賞している。
樋口歩(ひぐち・あゆみ)
グラフィックデザイナー。オランダ・アムステルダム在住。ヘリット・リートフェルト・アカデミー卒業。2013年からロジャー・ウィレムス(Roma Publications)とハンス・グレメン(Fw:Books)と仕事場をシェアしている。
公開:2022/04/06
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